国会議員の秘書21(リクルート事件で)
昨年から自民党の各派閥のパーティー開催の収支の不記載が問題になっており、現在政治資金規正法の改正案が国会で審議されている。
また政治と金の疑惑が取り沙汰されている。昨年、一部の報道では、リクルート事件の時と似ているということも言われていたが、最近の政治と金のスキャンダルと以前のものとでは、質とスケールが全く違うと私は思っている。
野中広務先生が建設政務次官になる前の年から
リクルート社の子会社リクルートコスモスの未公開株が、政界や財界、官界に流れた問題で、閣僚や自民党幹部をはじめ野党議員、その秘書たちが受け取っており、当時も政治と金に関するスキャンダルがマスコミを騒がしていた。
人身一新するために、竹下総理は、内閣の改造と自民党の人事を行なったのだが、初っ端から法務大臣に任命された長谷川俊先生がリクルートから献金を受けていたことが発覚し、就任して直ぐに、辞任されるという出鼻を挫かれる悪いスタートになった。また、1ヶ月後には、経済企画庁長官になられた原田憲先生のパーティー券をリクルート社が大量に購入していた事実が報道され、大臣辞任を余儀なくされた。当時は、政治家個人のパーティーでも今では想像がつかないくらいの金額が集まったのである。私たち秘書の間では、パーティーで政治資金を集めるということは、資金的に支える企業を持っていないということであり、企業から信頼されない力のない議員ということで、恥ずかしいことであった。リクルート事件が発覚して多数の議員が、リクルート社から株や献金を受けていたことが報道された頃に、何人もの後援者の方から「お前のところは、リクルートからもらってへんのか?力無いね一、舐められてるな」とお叱りともとれるお声をいただいた。
しかし、事務所の経費も潤沢でなかったことから、政務次官になったらどこかのホテルの部屋を借りて就任披露パーティーをしようと事務所内で話し合っていた。それが、原田憲先生が辞任されたので、当時もパーティー、イコール資金集めであり、悪であるという風潮に傾いた。野中先生の判断で今後は、野中事務所としては、政治資金集めのパーティーは一切しないということになり、この時から現職議員を引退するまでパーティーは、したことがなかった。ただ一度開催したのは、京都の国際会議場での叙勲の祝賀会だけである。これもパーティーのようなものではなく簡素なもので、ウォーターサーバーがあるだけの祝賀会だった。話はそれたが、リクルート事件は、この年の2月から3月にかけてリクルート社の前会長だった江副浩正氏をはじめNTTの幹部が逮捕される事態になり、政界の捜査も進んでいった。
政界とはいえ、私にすると雲の上の方ばかりの名前が出てくる事件で遠い世界の話であった。ただ、国会は、リクルート事件で暗雲が立ち込めているような感じと昭和から平成へとなったとは言え自粛ムードもあり、全体的に暗い雰囲気であった。4月に入り、新年度を迎えたが、竹下総理にもリクルートの疑惑が直撃していた。国家予算の成立も大幅に遅れて、竹下総理は総辞職と引き換えに予算を成立させるということで平成元年4月25日に記者会見を開き、表明された。
翌日、私は、経世会(竹下派)の秘書会から動員されて3月に亡くなれた農林大臣や建設大臣を歴任された亀岡高夫先生の葬儀の手伝いを行なった。青山斎場では、若い秘書たちと何人かで駐車場の誘導係をした。葬儀には竹下総理が参列されておられて、式の最中に竹下総理に1通のメモが渡された。それは、竹下先生の事務所の金庫番をされている秘書の青木伊平さんが亡くなられたことを知らせるメモだったようである。
私自身はまだ駆け出しであったが、国政に携わるということは、議員本人はもとより秘書にとっても過酷な道であると覚悟した日であった。
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