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自由民主党中曽根康弘総裁の箱根青年研修会

 私の記憶では、昭和61年の9月の初めだったと思う。自由民主党の青年研修会が神奈川県の箱根町の箱根ランドで全国の自民党の党員の青年を対象にした2泊3日の研修会があった。
 以前私は、こちらの場所には、木曜クラブ七日会青年研修会(田中派の当選3回までの議員の会)で同じように学生の時に寝泊まりして研修に参加したことがあった。野中広務事務所からは、私と後援者の社長の息子さんで選挙を手伝ってくれていた方と2人で参加した。確か、この研修会は、自民党本部の青年局が中心になって運営をしていたと思う。そして、有識者や党の役員が、2泊3日間に何人も講演するのであるが、一番はじめに講演されたのは、当時、党の組織委員長をされていた森喜朗先生(後に総理)がされた。内容は覚えていないが、森喜朗先生は、この時の組織委員長に就任されてから総理になられるまで党の重要ポストや閣僚を切れ目なしにされた方で総理総裁をされた時に野中先生は、自民党の幹事長で仕えられた。また、森先生と名刺交換させていただくと私のような秘書にでも名刺交換のお礼の葉書が送られてくる議員では、徹底して細やかなことをされる凄い方であると思っている。
 森先生の講演が終わると、私は、研修生として席に着きながら、ぼーっと前の舞台まわりで忙しく動いている党本部の若手職員さんに、見入っていた。今から考えるとこの時忙しく動きまわっていた方は、後に自民党本部の幹部になられた方ばかりだった。
 部屋は、各ブロック単位になっており、私たちは、大阪府の自民党の青年局に所属されている方と同じ部屋であった。同室で覚えたいるのは、党の幹部の秘書を数年して次の年に地方議員に立候補する大手建設会社の幹部の息子さん、そしてある市の議員をしている方で今は、その方の息子さんが他党の地方議員をされている方と同室で、自民党についていろいろと夜がふけるまで部屋で話をした。
 最終日に中曽根康弘総理の講演があった。この講演で中曽根総理は、「米国には黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって平均的にみたら非常に低い」この研修会の講演でこのような知的水準発言をされ、これが問題となり、米国で日本製品不買運動が始まり、のちに謝罪される結果となったのだが、私たち現場で聞いていた者は、さらりと流れる話の中での発言だったので、マスコミに騒がれてから「あの部分だったのか」と思った。野中先生が常々言われてた「政治家は自分の言葉に責任を持たないといけない」と改めてこの時に、ひとりひとりの政治家をはじめ、さらには、我が国の総理の言葉の重要さ重さが「政治家の言葉は、大きな例をとると今回の中曽根総理のように、世界に対して謝罪しないといけないなどということになるんだな」とよくわかった。また、この時の中曽根総理の私の印象は、やはり田中角栄先生の講演を聞いた時の方が迫力があって圧倒されたので少し物足りない印象だった。

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