春の大嵐

#1
その日のことを僕はしっかりと覚えている。4月のある日のことだ。僕は恋人のアパートに泊まりに行っていた。彼女は大学生で、僕と同じ大学に通っていた。彼女はお世辞にも頭がいいとは言えなかった。何も考えずに高校、大学と推薦で受け、そのまま合格した組だ。彼女は「私は運に恵まれているの、いつだって心地良い風が私の周りを戦いでいるの」と笑った。
「ねぇ、夜から嵐ですって」
彼女は下着姿で、小型テレビを眺めてそう言った。
「いつまで? 明日にはなくなるよね?」
僕も同じく下着姿だった。時間は深夜二時で、彼女と寝た後だった。彼女は別に上手くもないけれど、している時はいつだって精神が通っているような気がした。僕は高校生の時、恋人としたがそんな運命を感じてはいなかったから、不思議な気分だった。
僕は彼女と一緒にベッドから見るテレビ、とりわけニュースが好きだった。寝た後に真剣に、イスラエルの情勢だったり、老人の起こす交通事故だったりに討論した。ピロートークに最適かどうかは全く不明だけれど。
「どうだろうね、でもいつまでも泊まってけばいいよ」
「明日は大学だろう?」
糊で固めたような髪をしたアナウンサーがハキハキとロボットのように喋っていた。
「あのね、何もかもを真面目にしたって見てくれるのはほんのひと握りなの。だったら気を抜いて、気楽に過ごしましょうよ」
「僕もそんな性格だったら苦労はしなかったと思う。だけど昔からずっとこんな性格なんだ、治しようがないよ。家に大きなリビングを建築したあとに、やっぱりここは寝室にしてと言ったって無理だろう?」
 ベッドに付属してる小さなテーブルにウイスキーのオン・ザ・ロックを少し口に含んだ。彼女はペリエを瓶から直接飲んでいる。
彼女は元々、神経質な女性だった。少なくとも出会ったばかりの僕に対してはそうであった。しかし、彼女と親密になればなるほどに、使い古した金属器のようにメッキが剥がれていった。けれどそれは別に負の値には決していかなかった。それすらも彼女の美点の一部のように僕は感じる。魅力として十分とれる。
「でもね、その性格のまま大人になったら、必ず疎まれるわ。上司にも、未来の妻にも」
「君は? 君はどう思う?」
大学にいない上司や妻よりも、彼女がどう思うかが重要だ。
「私なら問題ないわ。そういうあなただからこそ、好きなの」
そう言って笑った。手で口を抑えない、豪快でありながら美しさを含んだ笑みだ。
ニュースは未だに放送を続ける。社会の暗い話題を、明るめのスートを着た女性がハキハキと。
結局、嵐は二日続いた。二日間、外にも出られず彼女と過ごした。コーヒーを入れ、キュウリとレタス、ハムのサンドイッチを作ったり、時には激しく求めあった。彼女が僕の妻になることを微塵にも疑わなかった。

#2
もちろん、それは気の迷いだって分かってはいた。僕と彼女がどんな理由で別れたのか、今となってはまるっきり思い出せない。僕の生真面目さが原因だったようにも感じるし、彼女のがさつさが問題だったかもしれない。ただ社会人になって、何年もして春になる度に彼女を思い出す。
どこで何をしているだろうか、と。数年の月日が流れ、彼女の顔は輪郭すらぼやけてしまっているから、もしかしたら端正な顔立ちと勝手に思い込んでいるだけかもしれない。彼女は至って普通で、普遍的な女性だったかもしれない。もう判断のしようがないのだから。
僕は手を扇子に見立て、パタパタと仰いだ。その程度で暑さが収まればいいが、却って余計に暑くなったのではと錯覚してしまう。4月だというのに、27度を記録した今日は、数年前の春の大嵐の日と全く同じ日にちだ。妻もいるのに、未だ忘れられずにいる彼女。もうすっかり名前も忘れてしまった彼女。何をしているのだろうと思い馳せるのだった。

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