八月某日、赤パチ、猫の轢死体

夏といえば、朝焼けだ。というのも僕は七月、八月にかけての夏、ホテルの朝食番として働いていたからだ。朝の四時くらいには起きて、六時前にはホテルで働いていた。朝食番というのは平日は忙しくないものなのだが、夏だけは違った。常に百人程度の宿泊者が朝ご飯を食べに来ていた。
朝焼けは好きだった。キラキラしていたし、何より、駅のホームには誰もおらず独り占めしているような気分が好きだった。惜しむらくは高いところから一度も見れなかったことだ。
夏の思い出を探ったけれど、良いことなどひとつもなかった。妹に訊いてみると、浴衣姿で花火デートだとか、海までドライブだとか、恋人との思い出を話された。
そうか、恋人との季節だったなと変に納得してしまった。
僕の家庭の関係はもう末期にあって僕は家を出た。続いて妹が僕の家に居候を始めた(とは言っても家には基本いない。荷物置き兼シャワー室みたいな感覚だったような気がする)。
夏はやりたい事が多くて、好きなだけやりたい事をしてもやり足りなかったという感覚に陥るらしい。しかし僕はやりたいことも無かったし、ホテルの朝食番が辛くて何かをプラスで行う余力などなかった。けれど、明朝に酔いつぶれたやつらが倒れていたり、飲み屋前で大騒ぎしているのを見ると、楽しそうだなと月並みな感想が出た。 
狭い部屋に一人、ぼんやりと過ごしているとこのなんとも言えない絶望的な日々はどうすれば終わらせられるのか、なんて考えてしまう。
緩やかな地獄は夏に限らず、ここ最近ずっと続いていて、僕は慣れきってしまったような気がする。孤独に耐えるというのは慣れれば楽なものでお手の物だ。
僕は孤独を埋めるかのように、ギャンブルにのめり込んだ。寂しさをスリルで埋め尽くせば、気が紛れると思った。事実、僕はそれに見事成功した。競馬は痛い目みているから、パチンコにしようと思った。敷居は低い、演出の信頼度さえ覚えていれば楽しめた。朝食番が終わり、次の日が休日の時は閉店まで打った。プラスになる時もあれば、マイナスになる時もあった(基本的にはマイナスだが)。マイナスだろうが、家に帰る時間が少しでも遅れればそれで良かったし、キラキラした演出を見てると希望のような何かが浮き出てきた。あるわけも無い希望が。僕が小さい子どもの居る母親でなくてよかった。駐車場に置いてきて、パチンコしてるかもしれない。赤パチ。赤ちゃんを置いてパチンコ。そんなやつは地獄に行けばいいんだ、僕含め。
そういえばこの間、猫が車で轢かれた死体を見た。最悪の気分でホテルに向かった。近くに小さめの森林公園があったから、そこから飛び出たところを轢かれたのだろう。僕は安らかに眠れるように少しだけ祈った。
事故死が死因の中で1番嫌かもしれない。僕は死ぬ時楽に死にたい。安楽死だ。テレビの電源を消す時みたいに瞬間的で、眠る時のように心地よく。
そうしたら誰かが僕が安らかに眠れるように祈ってほしい。救われる気がするから。


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