人殺しのための音楽

#1
  僕が仮に、そう仮に、人を殺したとして一体なんの問題があるというのだろう?
  僕が殺したそいつは社会的に無価値で、それどころかマイナスにしか作用しなくて、生きているだけで不愉快になる人達が沢山いるというのに。むしろ、僕が正義なんじゃないかとさえ思えるほどだ。

  駅前は人混みが凄くて嫌いだ。しかしまぁ、ここが一番隠れられる気がして、大抵はネットカフェがある大きな駅に行くことになる。ネットカフェは便利だ。会員カードさえ作れば、激安で何泊だってできる。家に帰れない僕にとって有難い存在だ。最近、ネットニュースで僕に関する記事が出ていないか調べたら、ぼんやりと駅前で歩く人々を眺めている毎日だ。これといって面白いわけではない。ただネットカフェで時間を潰すよりかは金がかからなくて済むというだけの話だ。ネットカフェが政府の意向で無料にでもなったらもちろん、ネットカフェに泊まる。
  道行く人達は、悲しそうな顔で猫背になって歩いてるサラリーマンや、大音量で頭悪そうに話す若い人たち、私はあなたがたとは一線を画していますとでも言いたげな女性、我が物顔で世界を語る中年、多種多様だった。
 最近は夜まで駅前のベンチにいることがある。夜になると警察もうろつくので、周辺を見渡しながらになってしまう。夜だと駅前はまた姿を変え、ネオン輝く街へと変貌する。ブランドという虎の威を借る狐のごとく、同じブランドを身にまとっている男が闊歩し、全く同じような服装、顔にしか見えない女が酔っ払ったのか蛇行しながら歩いていた。ストリートミュージシャンが増え、喧騒もより一層大きくなった。
僕が密かに楽しみにしているのはこのストリートミュージシャンだ。何せ無料で音楽が聴ける。ネットカフェで聴くよりも臨場感が味わえるし、僕の知らないジャンルの音楽と出会える。僕は一文無しに最も近い存在だけれど、小銭をギターケースに入れる時がある。彼らは常に全力で愛や友情、世の中について歌った。僕もそれを最前線で聴いて満足していた。いつも通り夜になり大きな駅でぼんやりとしていた。人殺しの僕が捕まる日もそう遠くないのだろう。この現代日本で逃げ切れるなんて端から考えてなんかいなかった。ただ、もう少しの間、牢獄に入る心の準備が欲しいのだ。
今日も喧騒に包まれている駅は、イチャつくカップル、春を買う中年もしくはパパの活動を頑張る少女たちで賑わっていた。静かにとぼとぼと歩いているのは枯れたサラリーマンとイヤホンで世界と断絶している少年だけだった。この駅のネオンは眩しいけれど、この眩しさはそれだけではない気がした。明日をも生きる、生の眩しさとでも言えばいいのだろうか。そういった何かの活力を感じた。
僕の座っている駅のロータリーのベンチ付近に、大きなギターを背負った少女が座った。彼女は地べたに座り、ギターケースからギターを取りだした。僕の方に一瞥をくれ、そのまま何事もなかったかのように準備を淡々と進めた。
彼女はチューニングをして、ギターをかき鳴らし始めた。僕はじっとその様子をひたすらに見ていた。
彼女はいよいよ歌い始めた。僕はその歌を知らない。カバーなのかオリジナルソングなのかは分からないけれど、その歌詞は僕の心にするりと入り込んで、心を掴んだ。
彼女は全身全霊をその歌に込めていた。声がびっくり返ろうが関係なかった。そんなのは瑣末なことで、彼女が重きを置いているのは、全力で歌うことのように見えた。
すっかり僕はその少女の歌に聞き入ってしまった。街を気だるそうに歩く人々は彼女になんか目もくれない。例え彼女を見たとしても、その騒がしさに眉を顰める者くらいしかいなかった。
彼女は汗を流し、その魂の一曲を歌い終えた。僕は出来る限り大きな音で拍手をした。それが僕のような凡人に出来る唯一のことのように思えた。
「ありがとう」
彼女は照れくさそうにはにかんだ。
「私の歌、聴いてくれる人がいることに驚きだよ」
「僕は別に音楽をやっているわけじゃないから、コード進行がどうとか、歌声がどうとかは言えないけど、少なくとも僕の心には響いた」
僕は僕なりの言葉で彼女を褒めた。彼女はお礼の言葉を言って、僕の隣に座った。彼女は息を整えて、僕の方を向く。
「不思議な人だね、なんか人間味を感じないとういうか」
「そうかな。普通の一般人だよ」
今、犯罪を犯して逃げているけど。そんなことは言わずに心の中に留めておいた。
「私はさ音楽で世界を変えたいって本気で思ってる」
至極真面目な顔で少女は語り始めた。それを鼻で笑うようなことは僕にはできなかった。
「みんなに言うと馬鹿にされちゃうから言わないけど、特別に言ってあげる」
僕はありがとうと言って、彼女の言葉の続きを待った。彼女は僕の反応を確かめるように僕をじっと見ている。
「今、世界は、というか日本は暗いと思わない? みんな俯いてスマホいじってさ。それが別に間違ってるとは言わないけど。だけどやっぱキラキラして輝いてる方がいいに決まってるじゃん」
少女は自分自身で頷きながらそう言った。彼女はどうやら本気でそう思っているみたいで、僕もそれを笑う気にはなれなかった。彼女の音楽が上手くいくかどうかなんて分からない。けれど、彼女のその美しい一本線は成功する可能性を大いに秘めていると思うのだ。
「いいね。それは刑務所でも流されるくらい人気になってもう一回僕に聴かせてよ。僕が罪を償い終わる頃にはライブを開催してさ。待ってるよ」
「どういうこと?」
僕はその質問には答えず、立ち上がった。
「また会えたら」
僕は少女の顔を見ずに歩いた。交差点を曲がった先に交番がある。

#2
僕は長い長い刑務所作業をすることが決まった。僕が逮捕されたことはニュースで報道された。人を殺したのだから当たり前だ。それが仮に殺すに値する人間だったとしてもだ。僕は優秀な模範囚になり、ラジオを、テレビを獲得した。音楽番組をしきりに確認し、彼女がいないかを毎度探った。しかし、彼女の姿を見ることは出来なかった。彼女はあのみんなに馬鹿にされていた夢を諦めてしまったのだろうか?
やはり世界を変えることは出来なかったのだろうか?
刑務所で一番、流行りの音楽を知っていたのは僕だろう。
ある日、自由時間に山崎という小柄な男に話しかけられた。
「お前はしきりに音楽番組を確認してるんだろ? 音楽が好きなのか?」
「嫌いじゃない。ただ探してるだけさ、昔僕の救いになっていた音楽を」
「そうか。お前自身は音楽をやらないのか」
「一切やらないな。難しいことは苦手なんだ」
山崎は笑った。
「難しいことはねぇ。ピアノをやれ。ピアノは心を落ち着かせてくれるし、頭が活性化するぞ」
山崎はそう言って去った。それ以来、自由時間に僕と山崎はピアノの前に座り、楽譜とにらめっこした。山崎はピアノを弾くのが上手かった。素人目でも上手いと分かった。時に情熱的に、あるいは詩人のように奏でた。
「お前は何して捕まったんだ?」
ある日、僕は山崎に尋ねた。
「殺人だ。介護に疲れたんだ」
「あぁ」
刑務所の中ではよくある事だった。別に僕はそれを否定しなかった。残り少ない人生を歩む親より自分の人生の方が大切になってしまうものなのだろう。
「後悔はしてない。親も死ぬことを望んでたんだ。だから俺は数年でおさらば出来る。だからその間にお前にピアノを叩き込む。お前は他の奴らとは何か違う」
僕は笑った。何も変わらないのに。

山崎はあっという間に出所して行った。こうして僕は一人になった。山崎とピアノをやる前と変わらない日常になった。変わったのは毎日、ピアノを弾いてるということくらいだった。それにもう一つ変わったことがあった。山崎以外にも聴いてくれる人ができたことだ。小館というやつだった。小館はしきりに僕のピアノをほめた。
「お前はプロになれる」、「世界が認めてくれるぞ」と。僕は別にそんなつもりは無いと思ったが、ありがとうとだけ返していた。
しかし小館があまりに褒めるので、ギャラリーは日に日に増えていった。
僕は刑務所で少しだけ有名人になった。山崎のお陰だ。あいつは結局、連絡先すら教えくれなかった。薄情なやつだ。まだまだピアノで学ぶことは沢山あったのだ。
僕は刑務所内で優等生だったからか、執行猶予が付いた。ついに外に出られるのだ。僕は小館やピアノを聞いてくれた奴に別れの挨拶を交わした。
外に出た僕は真っ先にあの駅前に向かった。数年前のあの場所はまだ残っていて、僕はベンチに座った。何もかもが懐かしかった。夜までまだまだ時間があったが、あの時のことを思い出していれば時間が過ぎるのはあっという間だった。
夜になって生のネオンが輝いてくる。若者は大声で希望を語っていたり、中年はスマホを見ながらとぼとぼと歩いていた。あの時と変わらない。やはり世界は変わらないのだ。彼女はやはり、諦めてしまったのだろうか。社会という波にさらわれて、夢破れてしまったのだろうか。だとしたら僕はどうすればいいのだろうか。
ぼんやりと待ち行く人々を眺めた。彼女の姿はどこにもなく、しまいにはポツポツと雨さえ降ってきた。天気予報なんて見ていなかったから傘は持ってきていない。次第に肩は濡れ始める。
僕はため息をついた。今日のところは諦めよう。
人々は歩みを早めて雨を避けている。僕が腰をあげようとしたが、僕は中途半端な姿勢で全力疾走する少女を見た。ギターを背負い、数年前にも見た面影のある少女を。

時が止まった。

僕はこの日のために数年、努力していたのだ。
「歌うぞー!」
少女がギターを弾き始め、歌を歌う。それも数年前と変わらない音楽だ。彼女の前にはチラホラと雨を気にせずに立ち止まり、音楽を聴く人たちがいた。
その曲が終わったあと、まばらではあったが拍手も起こった。
「ありがとう! 次の曲。今日は雨だから最後にしようかな」
少女は前よりも大人びた表情を見せて、弾き始める。

「聴いてください。人殺しのための音楽」

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