日記#25『液状の寂しさ』
ついこの間までは夏だったのに、あっという間に冬になった。冬になってようやく冬服を買った。冬は夏よりも好きだ。だけど冬特有の寂しさがやって来て僕をいじめる。冬を共有できないという寂しさ。僕はこの冬を一人きりで乗り切らなければならないという絶望。
駅前はイルミネーションが施されて、浮き足立っている。僕だけがしっかりと地面に着地している。はずなのに、ずぶずぶと沈んでいくような感覚にとらわれる。
世界は僕を残してどんどん進んでいく。周りの同級生が年齢を重ねているという事実を受け止めきれない。変われていないのは僕だけで、未だに小学校だか中学校だか高校の席に座って授業を受けている僕がいる。周りに昔と変わっていない同級生がいると思って見渡すと誰もいない。画面が歪み、ノイズを立てて暗転。僕は気づけば底なし沼に胸くらいまで浸かっている。ここまで来たら、誰が手を差し伸べようが無意味だ。僕の墓場は決まってしまったも同然なのだから。いつがラストチャンスだったのだろう。いつが沈む一歩手前だったのだろう。考えてはみるけど、分からないまま。
いつも死に場所を探している。どう死ねば、まともに格好がつくか、を考える。しかし僕みたいなやつがどう死んだところで、格好はつかないし、小説家気取りの自殺、としか認知されないだろう。そもそも認知なんてされないのがオチだ。
果たして、僕の消極的な自殺は上手くいくんだろうか。格好のつく死に方をしたい。
冬が終わり、春の時期がやがてやってくる。春は嫌いだ。僕の知り合いに二度と会えなくなる季節だから。また会おうねがまるで呪いのように、僕の人生からフェードアウトしていってしまう。学芸会、舞台袖で一言喋って出番を終えた僕のように。
僕は会社で働いているけど、人事移動はあるし、退職する人もいる。バイトの子は辞めてしまうし、パートの人はいなくなる。彼らのことを等しく、好きかと言われれば分からないけれど、悲しいという事実は変わらない。環境は移り変わると分かっているのに、流れていく時間の波に押し潰される。
現実から逃げた先に、新たな地獄があるとわかって以来、逃げるのを辞めたように思う。辛い現実の逃避行、その先もまた辛い現実なのだと思うと、果てしなさ、やるせなさを感じてしまうけれど。先延ばしにした先に、良い事があるとは限らない。結果、現状に妥協するか、打破するかの二択になって、苦しくなる。今のこの僕を維持するにも、改善するにもそれなりの苦痛を伴うわけであって。やはり甘美な地獄に甘えてしまう自分がいるのだ。
甘美な地獄というのは心地良いし、楽だし、生きやすい。だけど、自分のためになるのかと言われれば正直分からない。ただ、靴擦れを我慢しながら歩くような毎日だ。
そういえば水族館に行く機会があった。薄暗い館内を知り合いの歩幅に合わせて見て回るのは、楽しかった。というか心安らいた。海月をずっと見ていた。ぷかぷかと不規則に泳ぐ彼らは自由の象徴のようだった。けれど、水族館にいる時点で自由ではないのだなと思い直す。不自由の中にある自由、規則の中にある自由。
彼らの自由が来ますようにと祈る。
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