恐ろしいミッキー
#1
僕が寝ぼけていたというのもあるが、タンスの柄であるはずのミッキーがこちらを向いて話しかけてきた。
「調子はどうだい?」
みんなが想像する甲高い声とは全然違った。居酒屋の閉店間際までいるアル中に似た、嗄れたような喉の焼けた声だ。
「悪くはないよ」
僕は不安と驚嘆を抑え込んで返事をした。もしここで騒ぎ立てたって、この部屋には僕一人だ。だったら無駄な気力を使う意味が無ない。
「そっか。そりゃあ良かった。オレはミッキー、お前が、みんなが、雑に扱ったせいでボロボロのミッキー」
嘲るようにおどけた。
「僕が? 僕はこのタンスは丁寧に扱っていたはずだけどな」
ミッキーは大声で笑った。耳元で笑うもんだから、より一層不愉快な気持ちになった。たださえ幻覚が見えて嫌な気分だというのに。不幸とは山手線のようにやってくると叔父は言っていたけど、至極その通りだとは思いもしなかった。
「オレは磨耗されていると思わないかい?」
「そんなことはないよ、今でも現役だと思うけど」
仕方なく話に付き合った。僕はミッキーとか、そういうのがそこまで好きではない。動物に言語を話せるだけの知能があると思うと、恐ろしい。
「バカ言ってんな、オレが、現役だと?」
また大声を出した。
「まぁ、お前にはそう見えてるとしたら、まだ騙せているのかもしれないな」
そういうとミッキーは黙った。僕の様子を窺っているようにも見えたし、単純に自分の話を出来て満足気というようにも見えた。
「お前にも悩みがあるんだろう?」
数十秒の間を空けて、またミッキーが話しかけてきた。
「まぁ。でもすごく些細な問題で、他人がどうとかじゃない。あくまでも僕の内面のことなんだ」
思い切ってミッキー擬きに打ち明けてみた。どうせ、本物なんかじゃない。第一、彼は甲高い声をしているじゃないか。こんなホームレスのような声じゃない。
「それは、お前の友達がお前を除いて遊んでいたとか、ぐちぐちとうるさい母親に正論を言われてどうにも出来ないとか、くだらないことで金を使って後悔してるとか、そんなこと?」
「概ねそうかも」
「それは傑作だな」
おどけているのに顔は一切笑ってない。そして僕の顔の中心にトンネルでも開通させるかのように見つめた。そんなに鼻が変だろうか。
「タバコを吸っても?」
「まぁ、構わないけど」
「お前はさ、そうやってまぁ、まぁで今までをやり過ごしてきたんだろ?」
「そんなことはない、自分の意思で納得するまで考えて生活を送っている」
「はは、そんな人間いねぇよ。そこの缶コーヒーのゴミを取ってくれ、灰を入れる」
トン、と1回灰を落とした。煙が換気扇のない僕の部屋の宙を漂う。
「嘘なんかじゃない」
「そう思い込みたいだけだろ」
なんで僕が偽物に説教をされないといけないかは不明だけど、どうでもよかった。
また、トントンと今度は二回落とした。彼は心底美味そうに煙草を吸った。
「いっけね」
彼は灰を部屋の地面に間違えて落とした。
「すまん」
さっきまで偉そうにしていたのにこうして頭を下げて謝る姿は、まさに偽物だと僕に思わせた。
「君は偽物?」
「何を今更、君だって偽物だろ?」
僕が偽物? 笑ってしまう。僕はどこまで僕だし、オリジナルだ。たとえ限りなく本物に近しい存在の偽物だったとしても、なんの問題があるというのだろう。
「ふぅ、お前のお陰で楽しい時間を過ごせたよ」
煙草を缶コーヒーに押し込んで、ようやく彼は笑った。
「じゃあ、また」
「また? もうないよ、これでおしまい。じゃあな偽物」
「元気で、偽物」
#2
目を開ける。どうやら僕はいつの間にやら眠ってしまったらしい。布団は被らず、下着のままで倒れ込んでいた。くだんのミッキーを見たけれど、いつもと変わらず寂しそうにそこに佇んでいる。
「やぁ」
僕は話しかけたけど、林檎が木から落ちるように返事はなかった。残念だけれど、夢だったみたいだ。
僕は立ち上がった拍子に、立ちくらみがした。そしてふらりとそのまま倒れてしまう。まだ完全に起床はしていないようで、下半身が言うことを聞かない。倒れた時に、缶コーヒーのゴミを踏んでしまう。
灰に塗れた金色をした缶コーヒーは、コーヒーと吸殻で黒っぽく変色していた。
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