日記#1 『不確定努力』
毎日いたずらに日々を消費して、生産性の欠片もない日々だ。楽しみといえば、家でぐだぐだと布団の中で見るYouTube。いつの間にか日付は変わっていて、微睡んでいく。こんなんじゃダメだ、分かっているけど、生ぬるい地獄は手厳しい天国よりも心地いい。それが悪だと分かっていても、無意識的に自分を正当化させてしまう。時間が無いから、区切りが悪いから、これが終わったら。繰り返す言い訳に、自分自身ももううんざりだ。そんなの、言ってる自分が一番聞きたくない。
最近、寝る前に毎度、後悔の波が僕に押し寄せてくる。あの時、こうしていれば。それは二日前の出来事だったり、二ヶ月前だったり、三年前だったりしている。僕は未来に希望が持てないので、過去に縋ろうと必死だ。そうして害した気分を立て直すためYouTubeを見る。負の連鎖。YouTubeだってくだらない、全く面白くない動画ばかり見ている。中学生がイキったコメントしてる動画、大人の姿したクソガキが我が物顔でコメントしてる動画。
努力している人を見るのが辛い。僕のクラスメイトに、一人暮らしで毎日家で料理をして頑張っている人がいる。学校で習った料理を復習したり、自らレシピを調べて作っている。顔立ちも整っていて、恋人がいる。適当で不真面目ではあるけど素直で誠実といえる。なんて素晴らしいんだろう。ぐうの音も出ない。同じ人間で、同じ性別で、同じ年齢で、大方一緒なはずなのに、こうも差が出てしまったのは何故だろう。シンプルだ、努力をしているからだ。僕は毎日料理なんかしていないし、あえて調べようともしていない。
別に毎日が楽しくないわけじゃない。少なくとも話せる友達はいるし、高校の友達とも連絡はしている。地元の友達もいて、月に一回程度遊んだりする。けれど、楽しい=幸福とはならないと思う。毎日が楽しく過ごしている人達はそうかもしれない。
楽しい! →幸せ!って。僕の幸福は何と直結しているのだろう、分からない。恋人と遊ぶことだろうか、ひたむきな努力をしてフィードバックされることだろうか、夢への布石を築き上げることだろうか。どうだろう。
生きているだけで偉いなんて、褒められるのは一部の価値を持った人間だけだ。生きているだけで偉いわけあるか。何かを成し遂げた方が偉くて、凄いに決まってる。何も成し遂げられない者にかける言葉などあるわけがないのだ。
僕は常に自罰的だ。当たり前だ、バイトでぼーっと突っ立ってる奴が褒められるわけないのだ。それだけで偉いなんて店長は、マネージャーは言わない。僕は今、ぼーっと人生の経過を傍観している。まるで第三者のように、自分とは無関係かのように。そうして、ある時ふと我に返って言うのだ、「こんなはずじゃなかった」。まさにそうだ、こんなはずじゃない。僕が中学生の時思い描いていた大人の像は煌びやかで美しいものだった。実際どうだろう、成人を目前にして泥だらけじゃないか。遠くから眺める富士山が観光客の置いていったゴミだらけな状態と一緒だ。
こんなにも自分のダメな所を理解しているにも関わらず、何も改善しようという気持ちが現れない。
より人生になることを願って、敬具。
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