贖罪

#1
きっかけは些細な僕の感情からだった。怒りとか、嫉妬とかそんなもの。そんなもののせいで僕の大嫌いな人が死んで、大好きな人は悲しんだ。

#2
太陽が今日も僕を照らす。おそらく神が僕に仕向けたのだろう。罪を償えと僕を糾弾するように。
今日もミィの屋敷へと向かう。小さな村からミィの屋敷までは馬車でもない限りそう行けないけれど、僕には馬車なんて無いので歩いて向かう。何ヶ月も続けていれば、人間というのは成長するもので、カモシカのような足がいつの間にか筋肉をつけていた。それに最初と比べれば苦でもなくなった。呼吸するのに、難しいなんてことは病気でもない限りありえない。それと似ている。僕がミィの屋敷に向かうことと呼吸は同義なのだ。
屋敷までの暇な時間は自問自答をすることで暇を潰した。こうしてあっという間に到着だ。
メイドたちに挨拶を交わし、中へと入れてもらう。メイドたちは「今日もミィ様を励ますために来てくれたのね」、「徒歩ですよ? 友情というのは素晴らしいですわ」などと話していた。
そんなんじゃない。ミィと僕、それにシキルとの関係は友情なんて美しい関係なんかじゃない。
そう叫びたかったが、おし黙った。あえて言う必要もあるまい。
ミィの部屋に行き、三回ほど小さくノックをした。
「ユキ? 入って」
ミィの声がする。今日の体調は悪くないらしく、声が上ずっていてどこか楽しげだった。
「ミィ、入るよ」
「ユキ! 今日も来てくれたのね!」
ミィはベッドから上半身だけを起きあげ、笑顔を作った。しかしその笑顔は僕のいる位置とは少し異なっていた。
「こっちだよミィ」
さっきよりも大きめに話し、ミィに僕の位置を知らせる。
「あれ、ごめんね」
舌をチロリと出して、お転婆に誤魔化すように笑った。そうしてミィは寸分の狂いもなく僕の方へと身体を向けた。
ミィは目が見えない。僕のせいだ。
シキルは死んだ。僕のせいだ。
僕が立ち入り禁止の森に行こうだなんて言わなければ、シキルは生きていて、ミィの目が見えなくなる事もなかった。
僕はシキルとミィの取り合いをしていた。それでシキルの臆病な性格をさらけ出そうと、僕が提案したことだった。シキルは魔物に食われ、ミィは精神的ショックで目が見えなくなった。
「ミィ、今日は体調が良さそうだね。僕も安心だよ」
「ユキ、分かる? 活力があるのよね。多分、毎日誰かさんが屋敷まで来てくれてるからだわ」
「僕は来たくて来てる。ミィの為じゃない、僕の為」
ミィは口角をこれでもかと上げて笑った。
「ユキは優しいね」
シキルのことは覚えていない。記憶からすっぱりと消えてしまったのだ。三人でかくれんぼしたことも、馬車で遠くの街に行ったことも、港町で海に沈む太陽を見て互いの夢を語ったこと、全部忘れてしまった。僕とだけの記憶に変わってしまった。しかしそれでいい。シキルなんて思い出さなくていい。
「ねぇユキ、なんだか最近目がチカチカするの。眩しいってこういうことを言うのかしら?」
「もしかしたら、回復しつつあるのかもしれないね。ミィは元気が取り柄の子だから」
僕はミィを茶化すように言った。
「もう、小馬鹿にして」
ミィは僕のことを小突いた。目は見えずとも、気配である程度の場所はわかるらしい。
こんな時間が永遠と続けばいいのに。これが贖罪だと言うのなら、何時までだってやってみせる。
夕暮れになり、僕はミィに別れの挨拶をして部屋を出た。ミィはあと少しと四回ほど言っていたが、キリがないので明日は早くから行くよと約束を交わした。
部屋を出ると医者がいた。街でも優秀と評判の医者だ。髪も殆どないような老齢だが、常に患者を観察してきた鋭い眼光は未だに健在だ。
「やぁ、ユキくん。ミィさんの状態なんだけどね」
「はい」
部屋から離れつつも、医者は話す。
「君と会って話していることが功を奏しているようだ。日に日に彼女の精神状態は安定している。シキルくんのことを忘れているからトラウマが再発することもないだろう。もしかしたら視力も回復するかもしれない」
医者は笑顔だった。しかし僕の顔を見て辞めた。
「どうしたんだい? そんなに俯いて」
「あ、いや、僕の顔を見て思い出してしまうのではないかと」
「確かに可能性は高い、しかし視力を失うほどのショックではないだろう。現実を受け入れるのに時間がかかるくらいだ。それに君もいる。支えてあげてほしい」
分かっていない。そうじゃないのに。僕の甘ったるい贖罪は静かに終わりを告げているのかもしれない。

#3
医者は数日後、可能性としてはそこまで高くないが、もしかしたら視力が回復するかもしれないと言った。贖罪の時間は終わり、断罪の時間へと移行しつつある。
その日はメイドたちが慌ただしく動いていて、僕はすぐに察知した。あぁ、ミィが復活したんだと。復活、この言葉がミィにとって正しいのだろうか。
直ぐに僕は屋敷を出て帰ろうとした。しかしメイドの一人に発見され、僕は半ば強引に部屋の前まで連れて行かれた。メイドは気を利かせて僕だけを廊下に残し、あとは皆消えてしまった。
僕としても都合が良かった。足が震えているのを感じる。壁に手をつけていなければ、僕は倒れてしまっていただろう。意味などないけど、深呼吸をした。過呼吸ともつかない息の吸い方をして、ノックをした。
「ユキ! 早く入って、見せたいものがあるの!」
ミィの声はいつもの上品さを失いつつ、興奮していた。
「本当? 今入るよ」
僕はなんとかして返答をした。しかし声は震えているし、中々ドアは開けられない。
「ユキ?」
「ごめんごめん、今行く」
ドアノブに手をかけて、夕暮れが早く来るように、ゆっくりと開ける。今はまだ昼食すらも食べていないというのに。
「ユキ!」
僕が部屋に入ってくるなり、ミィは僕に思い切り抱きついた。ダイビングするかのように飛び込んできたミィに僕らはそのまま倒れて、ミィを上にして重なり合ってしまう。
「私ね、視力が回復したの!」
「良かったね」
僕は微笑んだ。天使のように、あるいは悪魔のように。
「あなた、ユキ?」
ミィはすぐに自分の身体を起こして僕に、あまりにも冷酷な視線を浴びせる。
この反応の差はなんだ。
「ユキだよ、二人で出掛けたろう?」
僕は表情を崩さないように、矢継ぎ早に話を続けた。
「街で鬼ごっこだってしたし、二人で花の冠も作った。広場の露天で買った指輪を交換し合ったじゃないか」
しかし話せばその分、ミィは後ずさって首を小動物のように振った。
「違う、あなたはユキじゃない。ユキの記憶を持った誰かよ。私、視力は失っていたけどユキの顔はしっかりと覚えているもの」
「ミィ、信じてくれないの?」
僕は悲しそうな表情をした。実際悲しかった。

僕らは三人のはずだったろう?

「信じない、だってあなたはユキじゃないもの。メイドを呼んで。早くこの部屋から出て!」
「やっぱり、ミィはいつもユキばかりだ」
「ふざけないで! 早くして!」
ミィは僕に憎悪のような感情を向けている。それもそうだろう。しかし現実は残酷だ。僕が本当にユキだったらどれだけ良かっただろうか。
僕はユキにはなれない。
「ユキはさ、死んだんだ」
簡潔に、結論のみを述べた。感情というものを一切省き、ミィの瞳一点を見つめ、そう言った。それは17歳の少女には残酷すぎる内容だろう。
「え」
「僕ら三人は、立ち入り禁止区域の森に入った。僕が、いや俺が怖がりなユキを馬鹿にするためだ。俺はミィが好きで、ユキもそれは変わらなかった。ミィは俺よりもユキが好きだった。だから怖がりなユキを見て、俺の事を好きになるんじゃないかと思ったんだ。そして巨大な魔物がやって来た。俺は死んだ親父からあの森の危険さを聞いていた。だからその魔物が森の主だとすぐに分かった」
「ねぇやめて! 今すぐその話をやめなさい!」
ミィは耳を塞いで、蹲った。更に声のボリュームを上げて、無理やり聞かす。
「俺らは逃げ出した。でもミィは運悪く木の根に躓いてしまった。魔物がその好機を逃すわけが無い。標的をミィに絞った。ユキはミィが食われる瞬間に突き飛ばした。ユキの上半身は食われた。俺はどうすることも出来ず、何とかミィを連れて街に帰った。しかしミィはショックで気絶してて、俺が説明するしかなかった。ミィが一部の記憶と視力を失ったことを知った。俺には家族というものがいなかったしユキも孤児院の出だから、俺がユキになった。シキルという人物を殺した。そしてユキとしてミィに接する。大好きだったミィが、大嫌いなユキになった俺と共になる。そうやって贖罪していった」
「やめて…」
話し終えた僕の心に残っている感情は黒く濁り、薄汚い。ミィは声を上げて泣いた。
「ミィ、僕にはどうすればいいのか分からないんだ。もちろん、これが正解だなんて思ってない。けど、一体どうすれば良かったのだろう。僕も死ねばよかったのか? けれど君がひとりぼっちになってしまう」
ミィはいつの間にか、泣くのをやめて寝息を立てていた。
またこれで記憶を無くしてしまえばいい、なんて思うのは最低だろうか。

#4
ミィの屋敷にミィはいなかった。メイドたちは僕が原因だと微塵も思っていないらしく、申し訳なさそうな顔をしていた。ミィはおそらく、港町にいるのでは無いかと思った。彼女はずっとそこに行きたがっていた。

ミィは港町にはいなかった。夕暮れもとっくのとうに過ぎていたので、安い宿屋に泊まって早朝から探した。漁師に聞くと、昨日の夕暮れに僕の言った特徴そっくりの少女を見たと言っていた。
もしかして、森に行ってしまったのかもしれない。
森には僕らだけが知っている秘密の入口がある。柵がそこだけ簡単に壊せるようになっているのだ。

やはりその柵は壊されていた。僕は躊躇いもなく入る。ミィを大声で呼ぶが、鳥の鳴き声と魔物の雄叫びだけが聞こえるだけだ。
前と同じようなルートを辿る。嫌な記憶がよみがえってくるが仕方ない。視界の端に赤い色が見えた。そちらを見ると、ミィが血だらけになって倒れていた。
「ミィ!?」
駆け足でミィの元へかける。しかしそれをミィと呼んでいいのか分からなくなる。ミィの服装だが、上半身が無くなっていたからだ。望んで食われたのか、それとも事故で食われたのかは定かではない。食われたミィの下半身はその場に穴を掘って埋めた。道具なんて持ってきてはいないから、浅めにしか掘れなかったが放置よりかはいいだろう。
せめて同じ魔物に食われていればいいなと思う。そうすれば、ユキとミィは魔物の腹の中で共になれるから。
僕はひとりぼっちになってしまった。それに自分がユキなのか、シキルなのかも分からなくなってきている。もう演じる必要は無いのだと知っているが、前の自分が思い出せない。ミィも死んでしまった。しかし僕の記憶は消えない。おそらく本当の贖罪の時間はこれからなのだろう。



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