兎を待つように

1
じいちゃんが亡くなった。母方のじいちゃんは僕が小学二年生の時に亡くなっていて、記憶はほぼない。どっしりしていて、撫でる手が大きかったことはほのかに香る程度に覚えている。しかし父方は関わりがほぼなく、何度か会いに行ったくらいだ。電話で話すことは多々あった。というのもクリスマスプレゼントをわざわざ送ってくれたりお年玉を父経由で頂いたりしていたからだ。電話でお礼を言うと必ずと言っていいほど、「自分のことは自分でなさい」と叱咤された。当時はよく分からなかったし、反発していたように思う。自分だけではどうにもならないことだってあるんだ、と。
じいちゃんは北海道出身で、死ぬ前に一度帰りたいと言っていたらしい。しかし肺癌が腰に転移し、動けなくなったじいちゃんには不可能だったそうだ。それに加えて動けなくなったせいか、認知症が進み自分のことなど到底出来なくなってしまい、施設に入った。じいちゃんは昭和のカミナリオヤジのような人という印象がある。僕の父親はスキンヘッドにしていて、じいちゃんはいつもぶん殴っていた。いい歳した人間が髪を剃るな!と。一度家族でじいちゃんの家に言った時に衝撃を受けたのを覚えている。ゲンコツとはこのことなのだと刻まれた。その時のじいちゃんはまだまだふくよかで髭も熊のように生えていた。
霊安室で会ったじいちゃんは頬はこけていて、まるで別人のように思った。ばあちゃんが来てくれてありがとうと言ったけれど、今まで会えていなくてごめんなさい、死に目にしか会えなくてごめんなさい、と謝罪のことばかり浮かんだ。じいちゃんの近くには飲みかけの180ml角ウイスキーが置いてあってお手製の網目のカバー(なんと言えばいいのだろう、刺繍されているやつ)がしてあって、ばあちゃんが作ったらしい。
じいちゃんの家族葬はあっという間に終わった。お別れをして、花を棺桶に入れて焼かれるのを待つだけ。よっぽど行き帰りの方が長く感じた。
終わった後に父親の姉家族と共に話をした。じいちゃんが生前どうだったか、介護の大変さを聞いていた。ばあちゃんは本当に大変だったらしいけれど、話す際にはにこやかにしていて、苦労などこれっぽちも無かったかのような口調だった。

2
雷を見ている。駅の改札からだ。人の瞳くらいの雨粒が地面に打ち付けられていて気分を重くさせた。傘なんて持ってきていなかったし、雨が降るなんて気象予報士は言っていなかった。ましてや雷だなんて。どうしたものかとぼんやり改札で落ちる瞳を見ていた。改札には僕と同じ人達がやはり同じ面持ちで空を見上げていた。電話をしていたり、頭を搔いたりしている。
また雷が光った。物凄い光で景色が色白くなる。落ちたような音も共に響く。

3
父親がリビングで泣きながら網目カバーのついたウイスキーを飲んでいるのを見た。僕はそれを見てリビングには入れないなと、玄関でタバコを吸った。父親の泣き顔を見たのは初めての事だったので酷く動揺した。どうすればいいのだろう? もうほかの人は寝ている。母親と妹も弟も。その家で静かに起きているのは僕と父親だけ。二人きりだった。
しばらく玄関で暇を潰した。今の時期、蚊はいるし暑いしでどうしようもなかったけど、リビングに入って飯を食うよりかはまじであるように感じた。

4
じいちゃんが北海道のどこ出身なのかは分からないけれど、あれだけ毛むくじゃらだから寒さなんてへっちゃらなんじゃないのかと思う。北海道にもう身寄りはなく、東京で過ごし一家を支えたじいちゃんの苦労は計り知れない。実家すら出ていない僕には想像もつかない。色んな職につき、朝早くから夜遅くまで働いていたそうだ。江戸川区で、埼玉で、場所と職を転々としながら家族を養っていったのだ。僕は大きな骨を見て、柱を見た。
天国では飲みたかった酒をたんまりと飲んでいるに違いないと話する父親にみんなで笑った。

5
雨も雷もいよいよ止まらず、僕は一旦職場に戻ることにした。職場にならロッカーに傘を置いていたような気がしたからだ。きっと要心深い僕なら置いてあるに違いない。
駅を数駅戻って、職場まで戻った。駅から職場は5分あれば着くくらいで、モノレールも走っていて、その線路がある下の通りや建物の屋根があるところを通れば、そこまで濡れることもなかった。
職場には23時を超えるというのに、まだ残っている人たちがいて、少しだけ話した。彼らは自転車通勤をしていて、雨が止むのを待っているらしかった。
「雨止むの2時過ぎらしいよ」と言われた。
それまで待つのかと問うと、「雨が弱くなったら帰るよ」とぶっきらぼうに、ゴミ箱に物を投げ捨てるように言った。
僕はそうですかと答え、その人の座っているデスクの隣の椅子に腰掛けた。ここが誰の席なのかは分からない。けど、もういるのは僕含め3人だけだから別に問題もないだろう。
それ以外、会話をすることなく、時計の針が進む音だけが部屋に響いた。
またこうして僕は待つ時間になった。改札で棒立ちしているよりかは幾分かましだった。

7
「悪かったな」と父親に言われた時、僕の心臓は強く鳴った。あの時父親は気付いていたのだ。僕は曖昧な返事をするが、なんて言ったか覚えていない。
父親は僕の吸っている赤マルをくれ、「これでチャラだ」と笑った。髭に白髪がだいぶ混ざっていることに気付き、こんなに老けていたのかと父親の年齢の確かさをより実感する。
今思えばこんなに間近で話すことなどあまり無かった。僕は仕事で忙しかったし、父親も同じだ。僕は土曜日曜と仕事で、休みが父親と被ることなどほぼ無かった。
「まぁ父親は大抵息子より早く死ぬもんだ」
諦念のような眼差しで僕を見る。お前もいずれそうなるとでも言いたげだった。僕はそうだねと返して、早速頂いた赤マルを開封し、キッチンの換気扇の下で吸った。
僕も父親と同じような経験をすることになるのだろうか。それともまた別の感情を抱くのだろうか。その時にならないと分からないけど、まぁそうなるのだろう。

8
じいちゃんの遺影はやっぱりどこかじいちゃんには見えない。遺体を見た時はもっとそう思っていたけど。じいちゃんは髭達磨のようで、快活としている人だった。父親と瓜二つのような(当たり前なのだろうけど)人だった。父親もいずれそうなるのだと思うと、老いとは凄い。僕も父親のようになるだろうし、父親もじいちゃんのようになり、老いていく。そして死ぬ。僕はそれをただ待ち侘びるしかないのだ。

9
「雨が弱くなったから俺は帰るよ」
という声に僕は目を覚ました。いつの間にか僕は眠りこけていたみたいだ。返事をして、挨拶を交わした。時刻は1時を過ぎたあたりだった。
部屋には僕だけで、24℃に設定された冷房が嫌に寒く感じる。身体が冷えている。
僕は伸びをした後に立ち上がった。電気と冷房を消して部屋を出た。明日は休みだからこの駅でぼーっと過ごしたっていいのだが、家に帰りたい気持ちが強かった。しかし1時に電車は走っていないし、始発までの時間が長すぎる。
そういえば傘を取りに来たのだと思い出し、ロッカーを探る。やはり折りたたみ傘が置いてあった。僕はそれを持って外に出る。
結局雨はもう止んでいて、空は深夜の割にやけに白んでいるようにみえる。駅前だというのに人はほとんどおらず、街が眠っているようだ。
改札まで行ってみるが無論シャッターは閉まっていて、どうすることも出来なかった。
僕はその途方のないほどに大きいシャッターをただただ見ては、立ち尽くすばかりだった。

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