Phrase Plus 2 『ママ機関車』
1
ぼくはまだ、大人じゃない。大人という字はならったけど、大人じゃない。まだ小学三年生だから。2でわったら、ぼくは中学年だけど、大人にはなれない。
ぼくは、きかんしゃトーマスが好きだ。ママも好きだ。だからママがきかんしゃになったら、すごく好きになると思う。けど、ママはきかんしゃになんてなれないし、なりたくないと思う。毎日、だれかを運ぶなんてたいへんだ。
このあいだ、ママが車でぼくがすきな公園につれていってくれた。公園はとても大きくて、なんでもある。すべり台もあるし、シーソーだってある。ブランコもある。すごい。
ママはぼくを公園につれていった。これってトーマスとおんなじだ。だれかをどこかへと運ぶ。だからママは、ママきかんしゃになった。このあいだ。
ママはすごく頭がいい。ぼくがしつもんすればなんでもこたえてくれる。でも、おじいちゃんがどこへ行ったかをきくと、よくわからないことを言う。みまもってくれるって、どこでだろう。パパはあんまり好きじゃない。いつもぼくをたたくから。ママは、「パパはママを取られて寂しいんだよ」と言っていた。だったらそう言ってくれればいいのに。口で言えばいいと思う。
パパは、いっつもしたうちをする。ちっ、って。これをしたうちと教えてくれたのはママ。「しちゃだめだよ」って言われたからぜったいにしない。
ママはカッコイイ。スーツすがたでがんばっている。スーツというのは、せんじょうに行くための服らしい。せんじょうって、たたかうところだから、ママは強いと思う。でも帰ってくるときはヘトヘトで、ぼくが「おかえり」って言わないと、ずっとヘトヘトのまま。「おかえりは魔法の言葉で、一気に疲れが吹き飛ぶよ」ってママは言ってた。だからなるべく言うようにしてる。
パパは家にあんまりいない。しゅっちょうというお仕事らしい。ぼくはいつも一人。おじいちゃんは前まであそんでくれたけど、今はみまもってくれているらしい。ママはこのあいだおじいちゃんのことで泣いていた。おじいちゃんがママにいやことをしたと思う。だからおじいちゃんはあんまり好きじゃない。うそ、やっぱり好き。「坊は強い子だなぁ」って言って、頭をなでてくれた。おじいちゃんの手は、ゴツゴツしててかたかった。おじいちゃんはけんどうをやってたらしい。けんどうは、けんでたたかうスポーツ。いたそうだからぼくはあんまりやりたくない。
おじいちゃんはぼくにしょうぎを教えてくれた。しょうぎは難しい。おじいちゃんに、ひしゃかく、きんぎんおちをしてもらっても勝てない。ぼくのひしゃとかくはいっつも取られてしまう。そうすると、おじいちゃんは「坊、常に一手先、つまりは先のことを考えるんだ。今のことばかり考えていたら駄目だ。どんどん苦しくなってくるぞ」って笑った。そのあと、「でもそれだけじゃ将棋は勝てない。傾向を掴むんだ。同じことを繰り返すのに発見したら対策をしろ。どう動かせば未然に有効打を防げるのか。考えろよ、坊。坊は賢いし、強かだからな。俺はいつだって坊を応援してるからな」って言った。そういえばおじいちゃんはこの日から会ってない。ほんとうにみまもってるのかな。
今日もママは、7時30分にスーツをきがえる。だからぼくはスーツをタンスから出しておいた。ママはおおよろこびしてくれた。
これがおじいちゃんの言ってた、一手先を考えるってことなのかな。ママきかんしゃはこのあと、ぼくをようちえんに行くので、ぼくもきがえた。やっぱりママはほめてくれた。
2
僕は大人とも、子どもとも、よく分からない年齢になった。中学生は、子どもだろうか。映画料金は子どもと同じ料金ではない。しかしお酒や煙草を嗜むことは出来ない。不思議な時期だ。でも僕はあまり成長できていない。ママきかんしゃという、小学校の頃から使っている言葉は、今も尚使っている。しかしおじいちゃんは亡くなったという事実には気づいた。お母さんとお父さんは本当は離婚していたことにも気づいた。
こうやって大人になっていく。お母さんには教えられる立場から教える立場になった。例えば漢字とか、学校で習ったこととか。
でも、お母さんとどこかへ出かける時は、ママきかんしゃと言ってしまう。ずっと記憶に残っている、ママきかんしゃという単語。いつか、僕が車を運転してお母さんを連れて行ったら、ぼくきかんしゃになるんだろうか。
お母さんはそれまでに退院して、僕と共に出かけても大丈夫な体力になっているだろうか。おじいちゃんの遺伝やなんやらで、おじいちゃんと同じ病気に早期になってしまったお母さんは、病院で寝たきりだ。話せるし、僕の前では元気なふりをする。本当はとても辛いのを僕は知ってる。
僕はお母さんの病気が酷くなることをなんとなく予期していて、家事を出来るようにしていた。一手先を考えていたのだ。だから、叔母さんがたまに来てくれるくらいだ。自分のことは自分でしなきゃいけない。更に僕は一手先をよんで、お金を貯めている。ぼくきかんしゃになるためだ。お母さんには見て欲しいものが沢山ある。
3
僕は成人して何年も経った、沢山のものを得たし、失った。いつだって人生は山なりになっていて、下ったり登ったりの日々だ。お母さんは失ったし、妻と子を得た。そうやって大人になっていくとしたら、僕はなりたくなかった。しかし、妻と幸せな日々を送れば楽しく、子どもの成長を見るのは素晴らしい。僕は連れて行ってもらう側から、連れて行く側になった。お母さんは連れては行けなかった。だから僕が一人で行って、写真を見せた。
ぼくきかんしゃは、いつの間にか走り出していた。前にいるかもしれないママきかんしゃを追いかけて。
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