日記#24 『良いこと悪いこと』
僕が二週間くらい書き溜めていた日記が全てパーになった。というのも、僕がしっかりと下書き保存をしていなかったのだ。ただでさえ重かった筆は更に重くなった。もう持ち上げられないほどに。
これが悪いことその1だ。僕という人間は悪いことが1つ連鎖するともう止まらない。最底辺まで落ちなければならない。けれど自分からしたら最底辺だろうが、他人から見たらそれはまだまだ底辺じゃなかったりする。
勝手に自分の尺度持ってくんなよ!僕は今が最底辺なんだよ!と思うけれど。
でも自分も実際、「なんでこの程度で? もっと下あるけど?」みたいな嫌な奴になる時ある。だから僕に対し、嫌味みたいの言うやつは僕よりもしんどい思いをしたんだなって納得させてる。させてるだけ、本当は納得なんてしたくない。だって僕のがしんどい気がするもん。
僕がどんなに悪いことが起きたかは事細かに書かない。面白くないし、つまらないし、半分愚痴だし。よく愚痴を語り合いたいみたいの言うけれど、それって結局その時だけすっきりするだけで現状が変わるわけでもない、と思う。だから最近はしないようにはなるべくしてる。気を許してる人には平気で言ってしまうが。
良いことを記そう。人間はみな人生において、起こった良いことのみを都合よく拾って生きているんだから。
まずひとつ、面白い出会いをした。Twitter経由でLINEを交換した全く知らない人。僕が知っているのはその人が呟くもののみ。面白いものや興味深いものがあり、DMで話すようになって(実は僕の愚痴が始まりだったりする。結局話してるじゃん!)、LINEを交換した。僕はネットリテラシーが一切ないので、脳死で交換した。相手(その人のここでの呼び方が難しいので相手、と呼ばせてもらう)を信頼していたし。普段出来ないような話や、ちょっとした話をするのは本当に楽しい。生きる活力を感じる。相手は僕みたいに(失礼かもしれない)物書きで、俳句や短歌を作る。僕もかなり刺激された。言い訳して書くのを延期してはいるものの、結局書くのは楽しいのだ。一度筆が乗ればもうジェットコースターだ。
2つ目、僕がクラスの前で行なったものがそれなりに上手くいったこと。そんなことか、と思わないでほしい。僕にとってはそれなりに有意義なことだから。でなければノートに書かない。1つは演技、もう1つは発表。人前に立つというのはどう足掻いても緊張するしトチるのが常だったけど、その時ばかりはスっと出来た。何故か分からない。けど当たり前のように出来た。そのおかげでちょっとだけ自信が持てた。僕なんかでも出来るんだなって。そりゃあ井の中の蛙かもしれないけれど、僕にとっては重要な事だった。まぁ毎日自信を砕かれそうになるけれど、その度にちょっとした成功体験を思い出すのだ。そうして自分を保つ。人生の支え棒が出来たのだ。
3つ目、長編小説を完成させたこと。本当に嬉しい。前に応募してボコボコにされたものに更に改良を加え、前よりも2段階くらい良くした。これもやっぱり自信に繋がった。僕には才能があるって、どこか空に手を伸ばしたけれど、ようやく何かを掴めたような気がした。ただ毎日ちょくちょく書いて2ヶ月くらいが経ってしまった。毎日学校とバイトの合間、たまの休みに書くくらいだから仕方ないのだが、正直もっと書く時間がほしい。欲を言えばね。(これを書いてるうちに書き終わるかと思ってたけど、想像以上に難航してしまって、まだ書き終わってない。僕の計画性の甘さが出ている。あえてそのままにしておくことにした。)
4つ目、DMでずっと話している人がいること。前に言った気がするけど、どこか必要とされているような気がして、心地よかった。話しているだけで気が楽になった。他愛のない日常会話だけど、それだけで救われた。冗談抜きで。
このくらいだろうな。僕の日々は単調で平凡で、色彩の少ない、くだんない人生だと思っていたけど、案外そうでもないみたいだった。日記を書くという行為を通して、日々を見てみれば景色は色づき、誰しもが通る日常にして美しいものだったと言える。なんだかまとめみたいになってしまった。
最近物騒な事件が多い。他人からの理不尽で避けようのない悪意で、似たような(いや僕よりも良い)人生が失われてしまったり、半壊させられてしまうのだ。それを考えるだけで、やるせない気持ちになってしまう。やはりそんなこと、あってはならない事だ。生きるというのは人間に与えられた権利であり、それを奪うことは許されないのだと思う。僕は今回、重い難しい話を書きたいわけではないからこの辺にしておくけど。それでもこういう話って、みんなが考えるべき話題なのではないのかなと思う。もしかしたら自分が、あるいは自分の大切な人が巻き込まれてしまう可能性だって低かれど、ないわけではないのだ。でも考えようとしないのは、現実から目を逸らしているからだ。電車で通学通勤しているのに、電車内の事件について無頓着、または「うわーこえー」くらいなのは良くない気もする。かくいう僕も正直、そんな感想くらいしか出ない。「自分は遭遇しない」って思っているからだ。しかし考えたところで回避する術がほぼないのも現状だ。電車に変わる便利なものなんてそうそうないわけで、使わざるを得ないのだ。
閑話休題。
そういえばまた引っ越しをした。3年ぶりくらいだ。今住んでいる家から近場に引っ越した。好きだねぇ、引っ越し。それとそろそろ就職だ。僕の思いどおりにいかない毎日が加速していく。
正直、未来に不安を感じることがあまり無くなった。前まではあまりに恐ろしく、考えるのもはばかっていたが、今となっては「こうなるんだろうなぁ」なんて漠然として考えられるようになった。無論、その未来が明るいことはないのだが。だからそろそろ未来のビジョンを変えなければならない。
僕は20歳になって、今までの自分となにか違いが、差が出来ただろうか?
相も変わらずひたすらに好きな事をやって、嫌なことからは逃げて。そんな日々なのに、人一倍文句を言って。
僕は神はいると思っている。この地球の不可思議さ、宇宙の広大さ、絶対的な何かがない限り、上手く作用するはずがないのだ。偶然の連続、奇跡の連鎖だとでもいうのなら、それはもう紛れもなく神が起こした一連の出来事なのだと思う。
だから僕の所業も高い高い位置から見ていて、ペケを僕に書くのだ。「こいつは微妙だな」って。
さてさて、一人で歩くには寂しい季節になった。手が恋しく、心が誰かの温もりを欲している気がする。僕はまぁ例年通りで、一人ぼっちだった。正直慣れっこだ。毎年同じようにぼーっと終わるのを待てばいいだけだ。これが結構しんどいんだけど、まぁ仕方ないよね。別にいいや。こうして何年も時が経っていくと思うと、それなりに恐ろしい出来事のようだ。実際恐ろしい。しかしそれが嫌だろうが、時間は平等にやってくるので仕方ない。変わろうとしたって、僕はそうそう変われないし。強い意志があるわけではないし、確固たるものもない。そんなやつ、変われない。
このままでいいのか? そんなふうに思ったって、なーんも行動なんか起こせやしない。早く僕だって変われるものなら変わりたい。
目標に向かって歩いているはずなのに、色んなものを失い続けている気がする。頑張っているはずなのに、目標は遠のいている気がする。そうして改めて頑張っていこうって思った時にはもう遅かったりする。不思議なものだ。
漠然とやらなきゃこのまま死んでくだけだって分かってる。努力は怖い。平気で裏切ってくるし、苦しいし。だったらこのままで、なんて思っちゃうのだ。現状は別に悪くないわけだし。もちろん良くもないのだが。お決まりのこれから頑張る。何度目だろう? もう数えられないくらいになってきた。だからそろそろ。
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