日記 #22 『幸先地獄』
頑張った先に、何も結果が生まれなかったらどうしよう。僕が書いている取り留めのない日記も、構成から考えて紡いでいる小説も、全て何一つ結果として残せなかったらどうしよう。別に結果が全てだとは思っていないけれど、努力して書いた時間は無駄となりもう戻って来ないのだ。
小説教室という本を読んだ。その本によれば小説書く人は大抵、何か過剰か不足しているから小説を書くらしい。なるほどと僕は何が過剰なのかそれとも何が不足しているのかを考えた。おそらく、僕が不足しているのは他者承認欲求な気がする。僕はこれと言って認められるようなことを何一つしていなかった。得意なことがあるわけでもないし、勉強が特段できるわけでもない。だから小説を書くという行為に逃避したんだと思う。小説を書くやつなんて僕の周りにはそんないなかったし、小説で書かれる文章に正解と言えるものがないから心地が良かった。「小説書いてるの? すごいね」と言われる時、やっぱりどこか満たされるような感覚があった。
だからやめるにもやめられない。やめてしまったら本当に僕には何も残らなくなってしまう気がするから。ただでさえ少ない価値がゼロになって無価値のレッテルが貼られてしまうのがどうしようもなく嫌だ。もちろん僕は小説をもっと色々な人たちに読んでほしいから書いているというのも一つ、あるにはあるんだと思う。ただやはり一番の要因は承認欲求なんだと思う。
最近、ライ麦畑でつかまえてを読んでいる。ホールデン視点で紡がれている文章には共感が多数あった。もちろん舞台は海外で寮生活(追い出される所から始まるけれど)だからニュアンスは違えど、本質的には通ずるところがあった。温泉卵とスクランブルエッグは全く違うけど、卵という点に置いては一緒というように。僕はホールデンの文章に傾聴し、通じ合いたいと思っている。もう少しで読み終わってしまうのがもったいない。それにもっと早くから読んでおきたいとつくづく思った。ホールデンの大人にはなれないけど、大人の真似事をするのが好きだ(バーで女性を引っ掛けようとしたり、娼婦を呼んだり)。そして失敗する(引っ掛けられなかったし、娼婦とはしなかったしお金をぶん取られる)。そういう背伸びをして失敗する経験が僕にもある。
久々に書いたのに、どうも直近で読んだ話ばかりになってしまった。でもこうして知識を蓄えて僕は大きくなり、いずれは…。
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