Phrase Plus 1 『乾電池美術館』

乾電池美術館

1

 男は途方に暮れていた。運動不足を解消しようと散歩し始めたのはいいが、道に迷ってしまったのだ。近所のはずなのに、あるべき場所にあるべきものがない。コメダ珈琲だったはずのに、コインパーキングになっていたり、コンビニエンスストアなはずが、有名ブランド店だったりするのだ。知っている町のはずなのに違和感を覚える。
 男はいっそ、この状況を楽しもうと考えた。休日をフルに使って歩くというのも、次の日の筋肉痛を考えなければ悪くない話だ。自動販売機でミネラルウォーターを買って、背筋を伸ばして歩く。
 ただ歩くだけではなく、未来のことを考えることにした男は、まず一日後のことを考えた。
 明日は会議から始まる。それが月曜日たらしめる業務だからだ。無意味な、半ば雑談と化した会議を行なったら、その後は書類を作成する。男はいわゆる窓際族なので、それ以外特に仕事は割り振られない。そして定時にくすくすと陰口を言われながら退勤する。
 不憫だ。四十後半にして、情けない。
 男はそう思った。通行人が一人もいないのをいいことにセブンスターに火をつけて、呼吸するように一本吸った。
 次に男は一週間後のことを考える。
 日曜日だから、一日暇ということになる。おそらく散歩などはしない。昼間から缶ビールを片手にナッツを食い散らかしているに違いない。嘘や偽善にまみれたテレビでも見ながら。
 最悪だ。離婚をし、妻と子がいなくなってしまって、俺の人生は輝きを失った。庭付きの一軒家からボロアパートになり、手作り料理から半額の惣菜に変わってしまった。
 そして男は一年後のことを考えた。
  上司に詰られているのに、ヘラヘラと笑う俺。後輩に蔑んだ目を向けられ、見て見ぬふりをしてパソコンで掲示板を見漁る日々。今と何ら変わらない日常が、一年後に続いている。何だか嫌になってしまう。しかし、まだ窓際族としてやっていけたらいいが、今のご時世何があるか分からない。突然、クビを言い渡されることだってあるのだ。高校生と混じってコンビニで働く自分を想像するだけで恐ろしい。
 男はそう考えているうちにも、右に曲がったり左に曲がったりと道をどんどん歩んで行く。一年後の自分を想像した時に、ちょうど看板に目をやった。
 「乾電池美術館」、黒く明朝体で書かれているそれは男の足を止めるには簡単だった。

「乾電池美術館?」

 そんな美術館聞いたこともないぞ。単三やら、単四やらがあるのか?
 興味をそそられた男は、看板をじっと眺めながら、セブンスターをもう一本吸った。味わうようにじっくりと。
 煙草を足で踏み潰して、中に入った。小綺麗で一軒家より一回り大きな洋館のようだ。中に入ると、赤い絨毯が敷かれており、その先には執事らしき人物が立っていた。見た目が中性的でどちらだか見分けがつかないが、二十代後半であることは窺えた。男はおそらく男性だと決めつけた。

「ようこそいらっしゃいました。心よりお待ちしておりました。わたし、当美術館管理人のスギノと申します」

 彼は一礼をして男を見て微笑んだ。執事を男性だと決めつけてしまえば、彼の来ている服はなんだか燕尾服のように思えてきた男もまた、一礼を返した。

「乾電池美術館ってなんですか?」
「その名とおり、乾電池を展示している美術館ですよ。人々の生活を支えている乾電池の世界へとご案内致しましょう」

 スギノはそう言って、奥の部屋へと身体を向けた。

「入場料とかって?」
「無料でございますので結構ですよ、最後に存続のためお気持ちの寄付を頂けたら幸いでございます」

 スギノの動作はロボットのように規則正しかったが、声音や顔色は人間のような温かみが感じられ、そのちぐはぐ具合がまたより違和感を出していた。

「あ、わかりました」
「こちらが、お客様がよく見かける乾電池ですね」

 奥の部屋に入ると、巷で見かける乾電池たちが我が物顔で展示されているのには滑稽さがあったが、詳しい説明なども書かれていて、改めてここは美術館なんだと男は思った。

「僭越ながらわたしが詳しく説明させて頂きますね。小学生の頃、理科などで習われたかもしれませんが今一度、復習として。
 乾電池、一次電池と二次電池と二種類ありまして、二次電池というのは充電をして再利用ができるものですね。一次電池は、普段お客様が使われたりするもので、一度使ってしまえばもう捨てるしかありません。一次電池には、多種多様ございます」

 スギノがマンガン電池やアルカリ電池の説明を粛々と行なっていく。スギノの声は落ち着きを払っていて、男の耳によく馴染んだ。
 聞き終え、男は乾電池なんて廃れた前時代のものだと決めつけていたが、そんなこともないことを再認識した。スギノは感情を込めているのか、淡々と暗記した文章を読み上げているのか分からないように説明をした。しかし、端的に言ったおかげで男にとって分かりやすく、当時習った理科担当教諭よりも面白かった。

「今度はもっと面白い乾電池をお見せ致しましょう。こちらになります」

 スギノは右に曲がって、隣の部屋のドアを開けた。その部屋は、カーテンが閉まっていて電気も暗めなので、目を凝らさなければ何が置いてあるか見えない。

「よく目を凝らして見てください。自ずと浮かび上がってくるはずです」

 スギノは、先程より幾分か優しいトーンで囁きかけるように言った。

「なんだ? なんだか乾電池の中身が光ってるぞ」

 男は思わず展示のケースを触れてしまうほど、近くでじっと見つめた。

「よろしければわたしに、何色に光ってるか教えてもらって構わないでしょうか? 答えたくなければそれでよいのですが」
「鈍い青色だな、くすんでて、なんだか綺麗とは言えないな。あんたには見えないのか?」
「わたしには色は見えません。これはお客様自身にしか見えないのです。自分自身の人生を乾電池が表しているのでございます。光っている乾電池の量が多ければ、残りの人生も長いのです。そして色は現在の自身を表しているのでございます」

 スギノはそう言って男に笑いかけた。出会って初めて見せた笑顔だ。

「量はそこまで多くないな、半分くらいかな。鈍い青色はどんな意味なんだろう?」

 返事がなかった。嫌に静かにしんとしている。そこに大きな大きな分厚い壁があるように。

「スギノさん?」

 男は振り向いたが、そこに先程の管理人の姿はなかった。柔和な笑顔を最後に、スギノは消えた。男は急に恐ろしくなった。狐につままれたような気分になり、そそっかしく部屋をあとにした。展示ケースの色が少し変わったのには残念ながら気づいていなかった。
 廊下に出て、男は一度止まり、今来た道をじっと見つめた。スギノが隠れているのではないかと思ったからだ。しかし、やはりスギノの姿はなかった。赤い絨毯が網膜を刺激し、男にこびりついていく。
 男は不思議に思いながらも、出口へと向かった。美術館の出口というよりはどちらかといえば、大きな屋敷の玄関のようだ。
 男はぴたりと足を止め、出口の隣にちっちゃく置いてある募金箱にそっと千円札を入れた。再三、振り返ったがスギノは出てくる様子はなかった。

2

 女はどうしようかと悩んでいた。日課にしているランニングで、冒険をしたくなり、道なりにジョギングをしながら、右、左、右と交互に曲がっていたら、知りもしない場所に来てしまったのだ。人の気配などなく、おそろしく静かだ。閑静にも程があるといえる。公園に、児童の姿や、談笑するママ友もいない。杖をついて歩く老夫婦もいない。自転車を飛ばす学生も、もちろんいなかった。
 スピードを落として、大通りに出ようと試みるが、より一層迷っていくばかりだ。
  女は看板を探した。青い、大通りにある大まかな場所が分かる看板を。しかし看板はおろか、大通りに出ない。電柱を見たりするが、全く知らない町名だ。

「あ!」

 看板を見つけた女は思わず声を上げてしまう。後ろ側だが、なんかしら分かればそれで良かった。

「え?」

 しかし書いてあったのは、「乾電池美術館」とだけだ。明朝体で書かれているそれは、女をがっかりさせた。しかし、勤務している人に尋ねればいいと思い直し、中へと入った。
 出てきたのは中性的な顔立ちをした小柄な人物だ。女は、性別を女性だと決めつけた。最近、ボーイッシュな女性が増えているのを耳にしたことがある。知り合いにも憧れて短髪にした人もいた。

「ようこそいらっしゃいました。心よりお待ちしておりました。わたし、当美術館管理人のスギノと申します」

 性別を決めつけてしまえば、スギノの来ている服はゴスロリ調の燕尾服に思えてきた女は返事をした。

「あの! ここって」
「ここは乾電池美術館でございます。人々の生活を支えてきた乾電池を展示している美術館です。それではご案内致しましょう」

 スギノは女の返事を待たず、踵を返した。女はどっちに行けば地元へ帰れるかを聞きそびれ、まぁ見てから帰ろうと頷いた。
 スギノは電池の種類を説明し、主な用途や歴史を語った。特に熱心に話すわけでもなく、かといって嫌々ながらというわけでもないが、聞き取りやすく話した。

「今度はもっと面白い乾電池をお見せ致しましょう」

 そう言ってスギノは部屋を出て、隣の部屋へと案内した。

「暗くないですか?」

 不安感を出した女に対し、スギノは特に反応せず「安心してください。じっと展示ケースを見つめていてください。乾電池が光をもっていませんか?」と問いかけた。

「言われてみれば!」

 女はケースに近づいて、じっくりと見つめた。

「どうでしょう? 乾電池のどれくらいが光っていましたか? 色は何色でしたか?」
「七割程度です、赤色ですよ、燃えているみたい。仕組みはどうなっているんですか?」

 女はスギノの方を見た。スギノは悲しそうな顔をした。

「仕組みはお教え出来ませんが、少しだけ説明をさせて頂きます。量は寿命を表しており、色は現在のあなた自身を表しております」
「私を? これはいいの?」
「お客様の受け取り方によりますね。赤色はお好きですか?」

 スギノは興味深そうに尋ねた。女はどうも掴みにくい彼女を少しだけつまめた気がした。

「好きよ、運動会や体育祭はずっと赤組や赤団だったの。だからかな?」
「気に入ったなら良かったです」

 恭しくスギノは一礼をした。女はまた展示ケースに見入った。

「スギノさんは? ちょっと気になるな。透明感のある青色っぽいね」
「わたしには見えないのです。色や量、何もかも」

「どういうこと?」、女はスギノの方を見たが、そこには誰もいなかった。

「え? スギノさん? どこ行ったの?」

 音もなく消えたスギノは、廊下に出てみてもいない。女は乾電池の赤色がより一層輝いたのを見てはいなかった。

「どうして? どういうこと?」

 女の問いに答える人はおらず、廊下に少しばかり響いた。無機質な洋館は、女を受け入れているようにも思えた。
 気味悪くなった女は軽やかに走って玄関へと向かった。玄関の横に募金箱と書かれた木の箱があり、女はそれを見た。
 何のための募金なのかは分からないけど、面白いものも見れたし入れよう。
 そう思い、千円札を一枚、折り畳んで入れた。


  洋館は今日も、寄付金によって存続している。いつでも傍にあり、必要な時に自ずと現れて、訪れた人の人生を少しばかり変えてしまう。


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