世界の終わり
「いよいよだ。もう時期世界が終わるのだ。正確に言うのなら、明日の10月21日に終わる。もうこの世界にハロウィンもクリスマスも正月も来ないのだ。それどころか、厳しい冬も出会いと別れの春もうざったい夏もやってこない。今日した行為全てに、「最後の」が付属しているのだ。今日眠るとしたら最後の睡眠だし、明日の晩御飯は最後の晩餐だ。
世界の終わりについてこれ以上語ることはしない。だって語り終える頃には世界は終わってしまうし、僕もそんなことで時間を費やしたくないから。だからここで僕が語るのは10月21日に世界が終わるってことだけだ。22日はやってこないのだ。どう終わるのかは知らない。隕石が降ってくるのかもしれないし、ぱたりと完璧な黒がやってくるのかもしれない。
なんにせよ、終わるのだ。じゃあなんで僕がこうして手記を残すかって? だって新たな文明ができた時に僕のこの手記が残るじゃないか。もちろんそんな文明なんて出来ないのかもしれない。地球が崩壊すれば絶対にできない。でも、もしかしたら人間だけが死ぬ可能性だってあるから。だとしたら僕のこの手記は残す価値のあるものになる。新たに文明を築く者たちへ届けばいいなと思う。」
僕は手記を書き終えて、家を出た。僕の家は海に近い。砂浜には、気温が下がってきたというのに多くの人たちが訪れていた。サーフィンしている男性もいた。最後の、サーフィンかもしれないな。
ジーンズのポケットからくしゃくしゃになったセブンスターと100円ライターを出した。セブンスターは残り2本だった。そのうちの1本に火をつけ、砂浜を眺めながら歩いた。目的地はコンビニだ。300メートル程度先にあるコンビニ、まだ商品はあるだろうか。世界が終わるとなって、本当の意味で自由になってしまったから犯罪も起きている。善意で働いてる人たちもいて、警察は特に多かった。取り締まってくれるのはありがたいことだった。最初は怖くて外になんて出れなかったから。明日に迫った人類全員の寿命を前に、僕ら人間にあったのは諦観だけだ。もちろん、祈っている人、嘆いている人、すっぱり諦めて好きなことをしている人、それぞれだ。ただやはり、前者の人たちもやっぱどこか諦観を持っていたように思う。
路上でタバコを吸っても文句を言われなくなったのは、愛煙家からすれば嬉しいことの一つだ。タバコを吸うことで縮む寿命よりも世界が先に終わるとは、医療従事者もびっくりだろうな。
ということでもう一本目に火をつけた。これでセブンスターは無くなってしまった。
僕は浜辺にセブンスターの箱を投げ捨てた。
コンビニに着いた。そこはコンビニと言えるか怪しかった。窓ガラスは全て割れていて、電気は一切ついていなかった。跡地と言った方がいいのかもしれない。
「いらっしゃいませー」
僕が割れたガラスから中に入ると気だるそうに僕を迎え入れてくれる声がした。
「どうも」
そこのコンビニの制服を纏った女性だ。まだ若い。こんな所にいる必要はもうどこにもないのに。お金に意味はなくなったことで、労働の意味もまたなくなったのだ。
「何してるんですか?」
僕は興味本位で彼女に尋ねる。
「見て分かりませんか? ここで働いているんです」
彼女は僕を面倒くさそうに見つめ、仕方なくと言った感じで答えた。
「それはなんでですか?」
さらに質問を重ねた。
「別にどうだってよくないですか? 冷やかしは帰ってください」
彼女はやれやれと首を振り、レジ奥にある椅子に座った。
「すみません」
僕はコンビニを出て、家に戻った。久々に使うので家中を探して発見した。560円。それをポケットに入れてもう一度、コンビニへと向かう。
店員は僕を見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。彼女が口を開く前に僕が先制した。
「セブンスター10mg」
レジ台に置かれているレジスターはボロボロだったが、トレーが一応置いてあったのでそこにさっきのお金を出した。560円だ。
店員は僕と小銭を交互に見つめ、いそいそと棚にあるセブンスターの10mgを取ってくれた。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
店員さんは先程よりか表情を柔らかくして言ってくれた。
「驚きました。お金渡してくるなんて」
「わざわざ取りに帰ったんです、探すのに苦労しました」
僕は乾いた笑いを浮かべた。
「珍しい人ですね」
店員さんはまだ話し足りないのか、僕に話しかけてきた。
「地元の人ですか?」
「地元というか、最近海岸沿いに住み始めたんです。世界が終わるってなって旅してて、終わりの場所にここが丁度いい気がして」
僕は久しぶりに人と話すので、思わず饒舌になってしまった。僕は元々、東京の生まれだった。宣告(世界の終わりのこと)が行われ、東京は大荒れだった。何人が死に、何人が自殺し、何人が殉職したのだろう? 僕はしばらくの間、家に篭もって事態が収まるのを待った。なかなかに時間がかかったがそれでもいずれ終わりかは来るものだ。暴動にも、人類にも。
「そうでしたか。ここで話していきませんか?」
彼女は奥のバックヤードに行き、椅子を持って戻ってきた。あまりに古びていて錆がひどい鉄パイプでできた椅子だ。
「もちろんです。終わりまであまりに退屈でどうしようか迷ってた所だったんです」
「一緒ですね」
彼女はヒカリと名乗った。僕らは話していくうちに様々なことを知った。僕らは同い年であること、同じタバコを吸っていること、世界が終わるまで何すればいいのか分からず途方もなかったこと。
ヒカリは店の奥から缶詰を出して、二人で食べた。驚いたことに彼女はそれだけを食べて、一ヶ月弱生活していたのだ。僕ならそんな生活したくない。
「ユキさん」
ヒカリは僕の名を読んだ。僕は敬語をやめたというのに、彼女は一切やめなかった。
「タメ口でいいのに」
「世界が終わってほしくないって思いたくないんです。もしユキさんとより分かり合って、まだ一緒にいたいなって思いたくないんです」
「僕は逆だな。後悔と共に終えたい。それが人生の充実の証明だから」
「私はもう後悔なんてしたくないですからね」
ヒカリは苦笑した。
終わりまで残り三時間をきった。ついに終わるのだ。正直実感が湧かない。終わるのかもしれないとか思っている。だけど終わるのだろう。
僕はまだヒカリと共にコンビニでぼんやりと人生について考えた。思えば不思議な人生だったかもしれない。親にも友達にも恋人にも恵まれず、いつの間にか放浪人みたいになり、辺鄙な街に来て。ヒカリという不思議な人に出会えたから、万事OKだ。終わりよければすべてよしなのだから。
「もし、ここで一度文明が終わるとするじゃないですか」
ヒカリは唐突に話を始める。僕は相槌をして、彼女の方を見た。辺りは真っ暗で、懐中電灯の光だけが僕らを照らしている。月は今日、新月だった。
「そして何かの因果でもう一度、文明が始まるとするじゃないですか」
僕は黙って彼女の話を聞いた。
「私たちはまたこの世に生を受けるんです、きっと。そしたら再会して、結婚しませんか?」
僕は小さく笑った。
「僕たち、気が合うし」
「そうです。私が唯一敬語無しで話せる人になれます」
「全員に敬語なの、なんで?」
「それも来世で話しましょう。私は絶対にこのことを覚えていますから」
彼女は小悪魔に笑って、僕の手を握った。僕らは少しの間じっとしていて、波の音がしっかりと聞こえる海岸に移動した。堤防の石に座り、月が浮かんでいない空を見た。海岸には人がいるのか分からないほど真っ暗だった。最後の日にはみんな、家で愛すべき人たちと共にじっとしているのかもしれない。
時計を見てみると、終わりまで一時間をきっていた。いよいよだ、本当に。ヒカリの来世の話から僕らは特に話さなかった。話す必要がなかったのかもしれない。
「ユキさんがタバコを買ってくれなきゃ、こんな素敵な終わり方にはならなかったですよ」
「ヒカリがコンビニの店員じゃなきゃこんな素敵な終わり方にならなかった」
出会ってから一日しか経っていない。なのに僕らは前から知り合いだったみたいに通じ合っていた。最後の日にそんな人と出会うなんて、皮肉的だけど。
いよいよ、残り数分となった。数分となっても世界は変わらず、当たり前であった。
僕とヒカリはタバコを吸った。暗闇に紫煙を吐いて、最後の時間を潰した。
「さよなら」
「楽しかったですよ」
「それなら良かった」
僕らは行ったり来たりする波の音をバックに話した。
「また来世で会いましょうね」
ヒカリはそう言った。僕もそれに対し返答しようとしたが、時間切れだった。
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