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僕を支えてくれる人

先日、祖母が他界した。
祖母は一年以上前から特別養護老人ホームに入所していた。
コロナのこともあり、なかなか面会に行くことができないでいた。
いや、本来はもっと早く行くことができていたかもしれない。
でも、会うのが怖くて行くことができなかった。


僕から見た祖母はしゃんとしていて頭の回転がとても速い人というイメージだった。
僕は生まれてから自分が家を出るまでずっと祖父母がいる環境の中で暮らしていて、肩身が狭い思いも多少したけど、基本的に孫には優しい祖母だった。

父と祖父は仕事一辺倒だったし、母は自分の気が向いた時にしか子どもに構わないような人だったので、家の中で一番の僕の味方は祖母だった。
保育士になると言った時に一番喜んでくれたのは祖母だし、結婚を決めた時も祖母が一番喜んでくれた。

身体が老いていっても精神的にはずっと元気なままだった。


そんな祖母の精神が、数年前からゆっくりとだが確実に老いていくようになっていった。年齢的に自然なことだ。


僕の父が死んでからは祖母の世話は叔母夫婦や従兄弟達が見るようになった。
本来は家を引き継いだ僕がやらなければいけないことがたくさんあったのかもしれないけど、叔母夫婦達にたくさん甘えてしまった。

そんな罪悪感もあり、祖母に会った時に「全然会いに来てくれなくなった甲斐性なし」と言われるかもしれないといつのまにか思い始め、その気持ちがどんどん膨らんでいき怖くなっていった。


2、3か月に一回は会いに行っていたのが、半年に一回程度になっていった。

そしてホームに入所してからはつい先日まで一度も会いに行くことができなかったのだ。

一度落ちた食欲が戻らず、栄養を自発的に摂ることができなくなってきているという連絡が施設の職員から入った。

叔母夫婦と一緒にホームに行った。そこで約一年半ぶりに祖母と再会した。
車椅子に乗って現れた祖母は、僕がイメージしていた5倍くらい痩せていた。それでも意識ははっきりしていた。「久しぶり、翔太だよ」と言うと、
「翔太?マスクしてるからわからないよ」

マスクをずらして顔を見せると

「髭がもじゃもじゃでわかりゃあしないよ」

「じゃあ次はわかるように髭を剃ってくるね」

と伝えると笑っていた。

その後、一通り話が済んだタイミングで祖母の体力を考えて面会を終わりにすることになった。

「また来るからね」

と手を握ると

「もう帰っちゃうの?なんで?」

握った手を祖母は離さなかった。



「また来るから。絶対来るからね」


自分に言い聞かせるように祖母をなだめてその場を収めた。
寂しそうな表情をしながらも、手はゆっくり離れていき、笑いながら手を振って去っていった。


その日は久しぶりに写真を一枚も撮ることができなかった。
後でとても後悔した。


そこから数日後に、息子達と妻を連れて面会に再度訪れた。
その日は先日より感染症対策が厳しくなっていて、2人ずつの面会という制限がついた。僕が2回息子達を連れていき、最後に妻が1人で面会してもらう形になった。
祖母がいる部屋を訪れると、数日前におしゃべりをした姿はもうなかった。
すでに立ち上がることはできず布団に横になっていた。目も虚で、呼吸も浅く肩が上下しているような状態で、1秒ごとに生気が抜けていくような様子だった。
それでも声をかけると目線を合わせてくれた。声を出すことはもうできそうもないけど、手を動かして近づけてきた。それを握る。
もうほとんど骨の感触しかしなかった。

「翔太だよ。この間約束した通り、髭を剃ってきたよ」

マスクをずらして顔を少しだけ見せると、じっと見て微かに笑うような表情を見せてくれた。
その後、息子達の顔を見せたが不思議そうな顔をしていた。もしかしたら僕が結婚して子どもが産まれたことを忘れてしまっているのかもしれない。
それでも子ども達の声には反応して穏やかな表情をしてくれた。

妻の番になった。妻と祖母はもちろん血縁関係はないので一目見たら帰ってきて良いよと伝えたが、思ったより時間をかけて会ってきてくれた。

「声かけたら笑ってくれたよ。足をたくさん動かして喜んでくれてるみたいに見えた」

僕の時よりも意思表示を強く示してくれたようだった。
こうして面会が終わった。

家に帰って改めて子ども達に祖母に会ってくれたことの感謝を伝えた。

「今日はひぃばぁに会ってくれてありがとうね。きっと2人に会えて嬉しかったと思う」

「またひぃばぁは元気になるの?」

長男のまっすぐな言葉に詰まってしまった。少し考えて

「今ね、少しずつひぃばぁは元気がなくなってきているみたい。もしかしたら、このまま元気にならないかもしれない。だから今日会ってほしかったんだ」

と事実を伝えた。

長男は神妙な顔をしていた。次男は僕の表情をじっと見ていた。
妻はその僕らのやりとりを何も言わずに静かに聞いてくれていた。



僕らが面会に行った日の夜中、日にちが変わって1時間ほど過ぎた頃、祖母は息を引きとった。後日見せてもらった死亡診断書の死因欄には老衰という文字が書かれていた。

翌日、仕事を早めに切り上げて叔母と合流して、特別養護老人ホームへ祖母を引き取りに向かった。
叔母は
「翔太達家族で一通り会いたい人とは会えたから、思い残すことがなくなったのかもね」
と言っていた。

もしそれが本当なら、本当に身勝手なことだけど、しばらく会いに行くのを控えれば良かったと思った。



その夜、息子達に祖母の死を伝えた。

「昨日会ってくれたひぃばぁね。あの後寝たらそのまま起きなくなってね。死んじゃったんだ。だからもう会えないんだ」

長男の表情がみるみる暗くなっていった。次男はあまり状況が掴めていないようだった。


死についてを子ども達に伝えるのは本当に難しい。

ちょうど葬儀場が混み合っていたようで、葬儀まで一週間以上空くことになった。

祖母には僕含む4人の孫と、僕の息子2人を含む7人のひ孫がいる。
叔母夫婦の意向で今回の葬儀は孫とひ孫が中心となるような内容でおこなってほしいとのことだった。話の流れで僕が喪主になることになった。

ひ孫達は一番歳上で小学1年生、一番下は0歳。もちろん葬儀が初めての子がほとんどだ。
それでも参加してもらうことで何かを感じてもらえれば良いなという考えになった。

7人のひ孫達に文字通り囲まれながらの葬式は、かなりにぎやかになってしまったが、子どもの世話好きの祖母にとっては心地良い時間になったのではないかと思っている。

祖母の存在は僕の中でとても大きく、感謝してもし足りないほどのものをもらってきたと今でも思っている。
物心ついた頃から、もしこの人がいなくなってしまったら自分の精神状態はどうなってしまうのか、考えるだけでも暗くしんどい気持ちになっていた。

その時が来た今、そこまでの状態には陥っていない自分がいる。
それは妻や息子達の存在があるからだ。

その思いに気づいた瞬間、僕は甘ったれで誰かに頼りながらじゃないと生きていけない人間だったことを思い出した。
家庭を築いて一丁前に家族を背負っているという思い上がりが少なからず積み上がっていき、弱い自分を隠していたのだ。

幼少期からずっと頼っていた祖母から、いつのまにか妻と息子達に頼る対象が移行していった。

そんな弱い僕の気持ちを知っていた祖母だったから、最後の面会で妻に僕を託そうと意思表示をしたのかもしれない。


こんな弱っちい父親だけど、改めて、今まで以上に家族を大切にしていきたいと思った。

祖母との最後の写真

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池田翔太
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