花月という考え方

こんにちは。

今日からまた平日が始まりましたね。やっぱり平日は気が滅入ります。休日のために平日を頑張っている気になっています。

タイトルはラランドのサーヤさんの考え方です。

花金(土曜日のための金曜日、次の日休みだから)

その前の花木(花金のための花木)

その前の花水(平日の半分だから)

その前の花火(花水のための)

そして花月(花火のための花月)

という考え方です。なんか合点がいったような話です。平日を過ごしているとまだ水曜日なのかと現実を見つめてしまうことがあります。平日は嫌なことを念頭に置いてそのような考え方なのは面白いと思って利用させて頂いております。ちなみに今日は花月ですね。

最近は読書とオモコロとネタとテレビで私は構成されていますね。このnoteも一ヶ月くらい書いているのですがまだ忘れてしまいそうな日がありますね。習慣って自分に得がないとやりませんし、努力ができるのは結果がついてくるからですよね。目標がないのにひたむきに頑張る人ってすごいなと。方向性があっているかどうかがわかっているのかなと思ったりします。

相手のことばかりを気にしていたことがあります。みんなに優しくなって自分の意見がいえなくてもがいていたことがあります。今となっては誰も気にしてないよ。という言葉をかけれると思いますがかけたとしても私自身が納得するのかなと思ったりしてしまいます。その時は精神状態も安定していなくて毎日不調を訴えていました。誰にも相談できずにみんな同じなんだからと自分に語りかけていました。

今私はみんなという言葉を使っていました。私はみんなという言葉が好きではないのです。みんなという言葉で傷つきそして励まされました。「みんながやっているから」「みんな大好きだから」「みんなおかしいと思っているよ」「みんな」みんなってなんだろうなと。

この世界は孤独で生きていけない。という固定概念を持っている人がいる。けれど私は衣食住が揃っていて安全な環境に身を置くことができれば誰でも孤独に生きていけることができると思う。自分勝手な意見かもしれない。そんなことができればみんなという言葉に悩むこともなくなる。私はみんなって誰のこと?と思い始めた。みんなって安心材料のための常套句かもしれないと思い始めた。

オモコロライターのみくのしんさんが「この世界は安心と納得と我慢でできている。」ということを言いました。本当にそうだなという感想でした。私は安心がほしいから働いたり人に知恵を求めたりする。改めて気づきました。

最近は世界の見え方が変わりました。世界は広いようで狭くて、暑苦しいようでそうでもなくて無愛想でもあります。なんか楽しいなと。

明日も頑張ります。

では。

いいなと思ったら応援しよう!