ボブ・ディラン「ジョン・ウエズリー・ハーディング」ライナーノーツの翻訳

ボブ・ディランの8番目のスタジオ録音アルバム「ジョン・ウエズリー・ハーディング」のライナーノーツ(と呼べるものかは不明)に記されたディラン一流の寓話を訳してみました。はっきり言って私も含めてですが、大多数の人には意味が分からないと思います。原文も抽象的な語句や下世話的な表現が混在し、まさに「ディランの夢」とでも言うべき表現です。説明もない「It」や「The」がない語句を出来るだけ日本語にしようとして努力した結果がこうでした。

 訳した寓話中に【?】で示された部分は殊に訳出が難しく、訳によっては意味が分かれそうな語句です。あまり詮索をせずにおきました。

 この作品は、意味を詳細に読者に理解させるための文章ではないことは、語り口から明白と思います。理解しようとすることがバカバカしいことか、それともDylanが何を言いたくてこの話(私は詩の一種だと思う)を書いたのか想像するか、を選ぶのはDylanには関係のないことなのかもしれません。そういう詩人だからです。しかしDylanも人間です。彼の脳に近い脳を持つ人だっている可能性があるのです。私はそうではないと思いますが、彼の詩を愛する者として努力したいと思います。
 下に私が思うこの話の概観を書きます。

 『3人の王(ディランが契約している1967年頃のコロンビアの担当者か)がDylanが楽曲を作れば売れることを期待してやって来て、Dylanの機嫌を伺いながら、アルバムの内容を聞き出すという様子を、滑稽に描いたものと考えています。内容を知った担当者達はうれしさのあまり「転げるように車で走り帰って角笛を吹くようにはしゃぎ回った」ようです。彼らが帰った後、Dylanとその妻とマネージャが得意げに話し合うところでこの話は終わります。ただDylan(この寓話ではFrank)はこのアルバムがうまく売れるのか少し不安な表情をします。』
「3人の王」とはもちろん、キリストが降誕した夜に厩に訪れた3人の賢者を暗喩していて、ディランは自分を彼らの「キリスト」として位置づけた冗談を書いたと思われます。

 ではDylanのおとぎ話を始めましょう。
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 あるところに3人の王であり、かつ、陽気な3人組がいた。最初の王は鼻の骨が折れ、2番目は腕が折れ、3番目は破産していた。「信頼が鍵だ!」と最初の王は言った。「いや、くだらないことが鍵なのさ!」と2番目の王。「君たちは両方とも間違っている」と3番目。「鍵はFrankだ!」

 夜遅く、Frankは掃除をしながら肉を用意し夕餉にしようとしたとき、ドアをノックする音がした。「誰だ?」彼はぼんやりとして言った。「俺達だよ、Frank」と3人の王が口を揃えて答えた。「それで君と話したいんだ。」Frankはドアを開けると、3人の王は倒れるように転がり込んだ。

 Terry Shuteは美容院を開けようとしていたとき、Frankの妻が入ってきて彼を捕まえた。「彼らが来たわ!」彼女は喘ぎながら言った。Terryは引き出しを落としてその片方の目を擦った。「奴らはどんなふうだ?」「一人は壊れた器を持っていて、それは確かだわ、でもあと二人はどうだったか」「そうか、ありがとう、それが知りたかった全てだ」「それはよかった」彼女は後ろを向いてため息をついた。Terryはベルトを固く締めて、ふと思いついて言った。「待って!」「はい?」「何人居たって?」Veraは笑って、踵を3回タップした。Terryは彼女の足をしげしげと見た。「3人?」と躊躇いながら聞いた。Veraはうなずいた。

 「床に這いずってないで起きろ!」Frankは叫んだ。2番目の王は最初に起き上がってつぶやくように言った、「細君はどこにいるんだ、Frank?」Frankは全く冗談をいう気分でなかったが気軽に受け取って、返答した、「彼女は裏にいるよ、横柄な奴とそれ【?】を燃やしているから、今に来る、はっきりさせたいのだが、今日は何を考えて来たんだ?」誰もこれに答えなかった。

 Terry Shuteはバタンと音をさせて部屋にやって来て3人の王を見渡し、持っているモップを撫でた。万物の根源に近づいたように【?】自慢気に言った:「この国にとんでもない災害が忍び寄っている。それはここにいる3人組から始まって、外へ外へと広がっているんだ。こんな雑多な連中は生まれて初めて見たぜ。奴らは何も頼まないし何も受け取らない。許しなんてものは奴らにはない。奴らの頭の冒険心なんて腐りきっちまった【?】。奴らはあの未亡人を見下し、あの子供を虐めるんだ、だが思うにあの若者の運命を変えることも出来ないし、奴ら自身の運命さえもな!」Frankは、ばっと振り返って、「出て行け、みすぼらしい奴め!もう二度と来るな!」Terry は自分から部屋を出ていった。

 「問題はなんだったっけ?」Frankは驚いている3人の王に振り返った。最初の王は唾を飲み込んだ。彼の靴は大きすぎ、彼の王冠は濡れて傾いていて、それでもなお、彼は意味深げに話しだした、「Frank、」彼は続けた、「Mr.Dylanは新しいレコードを出しただろう。 このレコードはもちろん、彼の歌しかフィーチュアされていないし、我々が理解しているのはあんたが鍵だってことさ。」「そうさ」とFrank、「私だ」。「そうするとだ」とちょっと興奮した様子のその王が言った、「それについて我々に教えてくれませんかね?」Frankはそのときずっと椅子にもたれて目を閉じていたが、突然両目を虎のように開いた。「それで実際、どのくらい入れ込みたいんだい?」、と彼は言ったとき、3人の王は互いに顔を見合わせた。「それほどは・・・でもここに居合わせたとぐらいは言いたいです」、と最初の首長。「よろしい」、とFrank,「何が出来るか考えて見よう」、そして彼はそれを開始した。最初に、彼は座って彼の足を組み、次に彼は飛び上がって自分の着たシャツを破り、それを宙に振った。電球が彼の一つのポケットから落ち、彼は靴でそれを踏み潰した。次に彼は深く息を吸い込み、呻いて彼の拳で板ガラスの窓を突き破った。彼の椅子に戻って、ナイフを引き抜いた、「このぐらいかな?」と聞いた。「ああ、確かに、Frank」と2番目の王が言った。3番目の王はただ首を横に振ってわからないと言った。最初の王は何も言わなかった。
ドアが開いてVeraが入ってきた。「Terry Shuteはすぐにここを離れるけど、あんたたちが彼になにか贈り物を持ってきたのか知りたがっているわ。」誰も答えなかった。

 夜が明ける少し前に3人の王は転げ回るように走っていた。最初の王の鼻は不思議にも治っていた、2番目の腕は癒やされ、3番目は裕福となっていた。3人はそれぞれ角笛を吹いた。「私はこれほど幸せになったことがあろうか!」と金持ちの王が歌った。

 「まあ、大変なこと!」とVeraはFrankに言った、「なぜあんたが温和な男で、馬鹿みたいに部屋で暴れまわるような人間じゃないと彼らに言わなかったの?」「我慢だよ、Vera」とFrank。Terry Shuteは斧を磨きながらカーテンの陰に座っていたが、ゆっくりと立ち上がって、Veraの夫の方に歩いてきて、片手を彼の肩に置いた、「汝の手は大丈夫か、え?Frank?」Frankは職人が窓を直しているのを見ながら座って、「そうかな」と言った。

Bob Dylan
John Wesley Harding 1967
原文掲載サイト:http://www.bobdylancommentaries.com/liner-notes-john-wesley-harding/

追加解説

*「3人の王は倒れるように転がり込んだ」というシーンはよくアニメで目にします。Dylanは映画好きでも知られているようです。彼の表現はこういう映画的・誇張的なものと「最初の王は唾を飲み込んだ。彼の靴は大きすぎ、彼の王冠は濡れて傾いていて、それでもなお、彼は意味深げに話しだした」などと非現実なのにいやに詳細な描写が入り混じっています。それが読者にとって不思議な体験となっています。

*「Terryはベルトを固く締めて、ふと思いついて言った。「待って!」「はい?」「何人居たって?」Veraは笑って、踵を3回タップした。Terryは彼女の足をしげしげと見た。「3人?」と躊躇いながら聞いた。Veraはうなずいた。」

の原文は、

"Terry tightened his belt and in an afterthought, stated: “Wait!” “Yes?” “How many of them would you say there were?” Vera smiled, she tapped her toe three times. Terry watched her foot closely. “Three?” he asked, hesitating. Vera nodded."
ですが、原文のTerryとVeraの言葉の掛け合いは簡潔すぎて、普通の読み物にするとちぐはぐな感じとなり、少し行を分けよう、とか、「彼女は答えた」など付け足したくなります。しかし、これをDylanが歌の中でしゃべると、聞く方はなんとなく受け取れてしまうのではないでしょうか?
 この現象はDylanの楽曲の数多くの場合に起こります。Dylanのしゃべりのアクセント、テンポと語呂の組み合わせが楽曲と口語の境を無くし絶妙なのです。これはアメリカの楽曲の伝統的な一面と思っています。楽曲では韻を周到に踏むのも伝統です。韻律口語音楽とでも言うのでしょうか。
 反対に彼の小説はそういう意味ではあまり評価されていないように思います。楽曲と一体となって芸術に昇華するとでも言うのでしょうか。

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