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時計仕掛けのオレンジ


わしは無慈悲な夜の母(@hidakacacao)さんがツイートしました:
自由で愉快な生き物である幼児をこの社会に適合できるように躾けて教育していくの、とてももったいない気がしてしまう時がある https://twitter.com/hidakacacao/status/1006917035727581184?s=20

ツイッターに上がった投稿ですが、私は別のサイトから拾った一文です。(ツイッターにアカウント登録していないので)これと”時計仕掛けのオレンジ”が頭の中で結びついてしまったのです。

時計仕掛けのオレンジ、小説及び映画のタイトルですが、実は私は映画も小説も目を通していないのですが、素行悪すぎ、いうなればサイコパスの一人の性格を診療で変えてしまう話です。でもラストで彼は元の性格に戻ってしまい、こう言うそうです「治った」って。
確かに性格変えられた彼にしてみれば、治療後の性格の方が”おかしかった”わけですから。例え社会的にはサイコパスだったとしても。

ちなみに”オレンジ”とは、オレンジを枝の付いていた上と底を分けるように切ると房がいくつか表れます。人間の感情は、例えばある日夕焼けを見た時に、それだけで感傷に浸ってしまう人もいれば、綺麗と感動する人、明日も頑張ろうと思う人、ただの自然現象と捉えて何も感じない人色々で、悲しかったり楽しかったり嬉しかったり感じる感情は各自マチマチで、このオレンジの房のように各自で大きさが違う、という意味のようです。時計仕掛けは他人の手によって意図的に”仕掛けられた”、という意味合いでしょう。

サイコパスはその他人との共感性の薄さ(あるいはほぼ持ち合わせていない)から優秀な経営者に多い、と言われていますね。会社という利益追求という最大の目的の組織に必要のない人は簡単に切ることができますから。

本人がその性格や考え方などにおいて生きづらさを感じ、苦しんでいて、直したいと言うのであれば心療内科などでメンタルヘルスやセラピーなど受ける事に問題はないのですが、本人が望んでいない事を半ば強制的に矯正するのは個性を潰す事になるのではないか、という問題は常にあるようです。

社会性と多様性は相反するものなのでしょうか。

ハリネズミのジレンマの様に、ちょうどいい具合というのを模索しながら構築していくのでしょうけれど、今までも、これからも。

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