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LikeではなくLoveの精神で

 私の子供時代から、数年前までは、野良猫を数多くみかけていた。

 家の周辺、職場のまわり、駅の近く、公園内など、歩けば必ず野良猫がいたほどだ。おおかた飼い主に捨てられた猫が繁殖してしまったといういきさつだろう。しかし、ここ最近は、たまに数頭しか見かけない状態である。

 理由としてあげられるのは、やはり、猫の保護活動に力を入れている、ボランティア団体の方々が増えたからであると思われる。

 保護団体の方は、野良猫がむやみに子猫を生み出して増やさないために、捕獲して去勢手術させるために動物病院に連れていく。手術を済ませた猫は印として、片方の耳をV字か斜めに(さくら耳)カットされる。その後、元いた場所に戻され地域猫(野良猫だが、その地域の中で餌やりをして世話をする)として生活することになる。そのために、新たな子猫が増えることは、あまりなくなったというわけである。

 もうひとつの理由は保護ボランティアの方々が野良猫を捕獲して保護施設に持ち込み、世話をしながら里親を探すために動いてくれているからだ。

 第三の理由は、悲しいことに保健所に持ち込まれて、引き取り手がなければ、殺処分されてしまうという、悲惨な最期を遂げることになってしまう猫たちがいるからである。

 先に記したとおり、私から見れば、野良猫の存在というものは自然現象であった。恥ずかしながら、猫は野生の生き物だと勘違いしていた時期もある。知り合いのなかでも、綺麗な飼い猫は別として、野良猫を害虫扱いしている人も少なくなかった。確かに、油断してれば、家に入り込んで食べ物を盗まれるわ(我が家も市販のパンを一袋持っていかれたことがある)、粗相はするわ、汚ならしいし、迷惑を被られるのだから無理はない。そんな、可哀想な野良猫達に餌を与えている人も非難されてしまう。

 しかし、猫たちの視点からすれば、人間のように、棲むところも食べ物も無条件に与えられているわけではないのだから、ただ生きるために必死なだけなのだ。

 そんな猫達に、無償に尽くす、ボランティアの方に、どうしてそこまで出来るのだろうと、ずっと疑問を抱いていた。

 猫は癒しを与えてくれるかも知れないが、人間の日常生活に必要なものを生み出してくれるわけではない。犬のように忠誠心を持っているものも少ない。私も猫は好きだし、可愛いと思うが、さすがに自分の生活を犠牲にしてまで、野良猫に尽くすことは出来ない。きっと、私は猫に対する愛情が深いわけでなく、表面上の可愛さにメロメロになっているだけに過ぎない。早い話が、自分にとって猫はアイドルみたいなものだ。

 猫を実際に飼っている人に話を聞けば、家の中に嘔吐することもあれば、爪をたてて家具などに傷をつけたり、走り回って家の中のものをめちゃくちゃにしたり、虫の死骸などを持ち込むこともあるそうだ。

 なにより一番辛いのは重い病気にかかったとき、看病していて痛々しくなるとのこと。(もちろん、人間もそうだが)

 また、猫は人間の約1/4くらいしか寿命がないので、死というものに向き合わなければならないということ。

 無知でお馬鹿な私は、猫を飼うのは、犬よりはずっと簡単で(散歩が必要ないから)、餌は残り物を与えておけば、放っておいても大丈夫だと思っていたのだ。実際は猫用のキャットフードを与えなければ長生きは出来ないことを知った。また、猫を外に放置しても、帰巣本能が強いから問題ないだろうとも考えていた。そんな、お花畑の私を、猫に関わっている人々は呆れることだろう。

 そのような思い込みは、やはり、自分の身の回りが、飼い猫より野良猫が大半を占めていたからかも知れない。しかし、家猫と野良猫の基準を一緒にしてはならないのだ。ほとんどの家猫は飼い主に守られているため、防衛能力が弱い。そのため、脱走して、とんでもない場所で迷子になったり、事故に巻き込まれてしまうという悲惨な出来事に遭遇することもあるという。散歩をするのにリードをつけることが必要になったのは、そうした理由もあるそうだ。無知な私は、飼い主が過保護だと思い込んでいた。

 つまり、ペットを飼うには、メリットもデメリットも受け入れて、最期を看取るまでの覚悟がなければならないということだ。

 最近、耳にした話でショックを受けたのは、可愛いがっていたはずのベットを、むやみに保健所に連れ込む飼い主が少なくない、という現実。しかもその理由が、

引っ越しをするから連れていけない。

経済的事情で飼うのが厳しくなった。

子猫が生まれて引き取り先が見つからない。

このような事情はよくあることだが、中には、

お世話がめんどくさくなった

飽きて、新しい種類が欲しくなった。

などと、軽い理由で保健所に捨てていく無責任な飼い主がいるそうだ。それなら、始めから飼わなければいいじゃないかと思う。保健所に連れ込まれた動物達は、新しい里親が見つからなければ、無惨にも殺処分されてしまう。その殺処分に関わる職員の方も、罪悪感に苛まれながら、無垢な命を奪うという苦境に立たされると聞いた。

 しかし、自分もペットを飼うことに対して甘く考えていたため、無責任な飼い主全部を責められはしないが。おそらく、こんな考えが、不幸なペットを増やすのだろう。

 見返りも求めず、保護活動されている方達は、罪もなく殺されていく命を守りたい一心が強いのだ。つまり、猫に対してLike(表面上の美味しいところが好き)ではなく、Love(猫のデメリットも含めて愛情を注ぐ)精神を持ち合わせていなければ務まらない。自分には、まだまだ修行が足らないと痛感させられる。かと言って住宅事情の問題で、猫を引き取ってあげることは、もともと出来ない。また現在の状況では、時間的に保護活動に協力することも不可能だ。


遠い未来になりそうだが、いつか猫の保護活動に、何かしら貢献出来たらいいと考えている。

世界中の犬猫たちに、幸運が与えられますように。




 


#思い込みが変わったこと

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