空間の猫
就寝前、電気を消したその時、部屋のどこかから猫の鳴き声がした。
あわてて電気をつけると鳴き声がおさまる。
気のせいだと思って電気を消し、ベッドに潜るとまた鳴き声がする。さっきより近い。
電気をつけると、また静かになる。
今度は電気を消してその場に佇んでみる。にゃおにゃおと聞こえる。
部屋を見渡すと私よりも遥かに高い位置で黄色い双眸がこちらを見ていた。
私の部屋全体の暗闇が大きな黒猫になっていた。
「君どこからきたのかい。迷子なのかい?」
と聞いても先程と変わらずにゃおにゃお言うばかりで埒があかない。
「そうかい。それじゃあ今日は泊めてあげるから静かにね。」
といって布団に潜り込んでスマホをいじる。
猫が不機嫌そうな声をあげたのでスマホを伏せる。
いつもより羽毛布団が重い。猫がのしかかってきたようだ。
「こら君。重いだろ。」
猫の髭のようなものが頬を撫でる。
抵抗も虚しく重たい布団に心地良さを覚え、久しぶりに熟睡した。
朝起きると布団が軽い。
狭い部屋を探し回ると猫はベッドの下に居た。暗闇の面積に応じて猫は伸縮し色々なところに現れるらしい。
例えば机の引き出しをあけると猫の目がみえた。
「ドラえもんみたいだね。」というと鬱陶しそうな声を出して早く閉めろと要求された。
またある時は友人との外食帰り、私の影になってついてきた。
「君はずっとそばにいてくれるのかい。」
猫は肯定とも否定ともとれる声を出してついてきた。
急に私の紹介になって申し訳ないが、私は学生だ。
それもかなり、落ちこぼれである。不良のように振り切ることができれば、さっぱりとした美しさが纏えるが、私はそんな勇気もまたぶれない思想もなく、単に出席日数は申し分ないのに頭が悪い。という先生が一番頭を抱える生徒である。
ある日の制作発表の日(言い忘れていたが私はデザイン学科である。)
私の制作物は散々なものだった。美術用品は高いのにお金をかけて作ったものがこれだと思うと死にたくなる。そんな出来だった。
それは他の生徒の制作物と比べると尚のこと明らかで、先生や皆に向かって発表した際の皆の顔や先生の困惑した笑顔。褒めるところなんてひとつもないから制作の背景を聞いてそれを褒めてやろうという思考が見て取れた。(実際そうされた。)
私は授業がおわるとすぐさま空き教室に飛び込んで泣いてしまった。
世界で一番醜い涙だった。悔しくて泣いたわけでも情けなくて泣いた訳でもない。ただ空気感に耐えられなくて泣いた。それだけだった。この涙に、努力したけど報われない切なさや尊い時間は含まれてない。惨めな涙だった。
机に伏せて泣いていると、猫の声が聞こえる。
うつ伏せになった空間の中にできた暗闇に猫が不思議そうな顔で私をみていた。
涙は猫の毛皮に落ちて乾いていった。猫は心配する訳でも慰めるわけでもなくただそこにいてくれた。
なにも変わらない日常と同じようにそこにいた。その事が私にとっていちばん重要なことだった。
涙は以外にすぐおさまった。
顔をあげると猫はもういなくなってた。そして私はお腹が空いていた。
食堂でポテトサラダを受け取りながら、ぼんやりと名前を決めてあげなきゃなあと思った。
そんなこんなで未だに猫との奇妙な生活を続けている。初めは餌や飼育についてかなり悩んだが、三年も一緒にいて弱ることなく、にゃうにゃうといっているうちは大丈夫だろう。
因みに名前はまだない。どの名前をつけても首を横に振られるので諦めてしまった。
あれから猫は私の日常になった。毎晩寝る時に勢いよく羽毛布団の上に乗ってくるこの重さも愛だと思うのだ。