生検の日のこと
生検の数日前のこと
夫にしこりのことを話しました。
『去年の12月にしこりを自分で見つけてね。病院受診したらやっぱりあることがわかったところ。◯日に生検をすることになったんだ。』とツヤ子が言いました。
そしてしこりを夫に触ってもらいました。
『本当だ…。』と夫はいいました。
『わかった。でも、良性だったら何でもないってことだよね。』と夫。
『そう、でも悪性だったら癌ということ…。』とツヤ子。
『まだわからない。だからあまり考えても仕方ないけど、息子達のことを考えると心の準備は必要だと思って今話してる。』とツヤ子は言いました。
『わかった…。』と夫。
『生検の後は痛みがあるんだって。その日はたぶんゴロゴロしてると思う。』とツヤ子。
『わかった。その日の夕飯は適当に子ども達と食べるよ。』と夫は言いました。
夫はおそらく動揺はしていたと思うけど、冷静な対応をしてくれました。
生検の日
仕事を午前中で早退し、乳腺クリニックに行きました。
2回目なのでさすがに迷わず到着しました。
受付を済ませると前回と同様に更衣室へ案内され、検査着に着替えました。
診察室へ
受付の方が診察室へ案内してくれました。
『榊原さんこんにちは。今日は生検ですね。』とA先生が声をかけてくれました。
『早速ですが、コチラの椅子に座って下さい』と先生が言いました。
歯科にあるようなリクライニングシートでした。
座ると先生が
『背もたれ倒れますよ〜』と言って背もたれが倒れて行きました。
おもちゃのピストルの音
『榊原さん、針を刺してしこりの一部を取るんですけど、針を刺す時、このような大きな音がするので驚いて体を動かさないようにしてくださね』と先生は言うと『バチーン!!』とおもちゃのピストルのような音がしました。
バネが勢いよく跳ねて何かを飛ばす時に聴こえるような音でした。
(うあ〜、結構勢いあるのね…。)と思いつつ、
『わかりました!』と先生に答えました。
(気持ちで負けてはいかん!)
変な負けん気が沸き起こりつつも、もう、とにかくじっとしてれば、なるようになるだろうと諦めもありました。
『麻酔しますね〜。チクッとしますよ。』と先生。
患部にチクッと注射をされましたが、さほど痛くはありませんでした。
『榊原さん、痛みは麻酔でなくなるんですが、触られている感じはありますからね。』と先生。
(なるほど〜。とにかくじっとだわね。)と思いつつ
『はい、わかりました〜』とツヤ子。
ブスッと何かが刺さった
『はい、いきますよ〜』の先生の声がすると、『バチーン』とバネの弾ける音がするのと同時に乳房に『ブスッ』と何かが刺さりました。そしてズルズルと引っ張り出されている感じがしました。
結構な衝撃にひたすら耐える!
(ひょえ~!ツライ〜 耐えろ私!)と自分を鼓舞しました。
そんなツヤ子の様子に先生が
『榊原さんあと2回頑張れます?』と言いました。
(頑張りたくないけど頑張ります!)と思いつつ、
『はいっ、頑張りますっ』と苦笑いで答えました。
先生も慣れたもので、その後は容赦なくバチーン、バチーンと2回穿刺をしました。けれど、2回目3回目は麻酔が効いてきていたので、殆ど痛みはありませんでした。
と、いうことは…
麻酔が切れたら痛くなるということ…。
それを考えるとちょっと憂鬱になりました…。
丁寧な説明…インフォームドコンセント
『2週間後に結果が出ます。そのあたりでまた受診してくださいね。今日、傷口にはった絆創膏は傷をキレイに治してくれるので取らないようにしてくださいね。内出血がありますけど心配いりませんからね…。』などなど先生から丁寧な説明がありました。
(丁寧だ…。説明が…。)
30年前の医師は患者さんにこんなに丁寧に病気の説明はしなかったものです。
患者さんはとにかく理由もわからず『医者の言うことを聞く』という感じでした。
そんな状況を見直すためにインフォームドコンセントという言葉がようやく出てきたところでした。
新しい教育を受けた医師
(A先生はお若いからきっと新しい教育を受けているんだろうなぁ。だからインフォームドコンセントがしっかりしてるんだろうなぁ)と思いました。
現在では当たり前のことかもしれませんが、医療業界の努力があったからこその結果のように感じました。
次回はいよいよ…
生検の結果がわかるのは2週間後。仕事を休むのは厄介なので、土曜日に予約を入れました。
(やっと、ハッキリする。)と思いました。
はっきりしないのが一番気持ちがモヤモヤするものです。
残された自分の時間
不思議なもので、ツヤ子はこの時点で自分でも(癌だろうなぁ)と思っていました。
『癌がショックで悲しい』というよりも、残された自分の時間はどのくらいあるのか知りたくてしかたがなかった感じでした。
人って死にたくても死ねない時もあるし、生きたくても死ぬしかない時がある
ツヤ子が何故こんなに淡々としていられたのか…。
30年前、病棟勤務の頃、終末期のがん患者さんを看取る仕事をしていました。
そこでの経験せいか『人って死にたくても死ねない時もあるし、生きたくても死ぬしかない時がある』と思っているところがあります。
いつか誰にでも『必ず訪れるその日(死ぬ日)』までどうやって生きようかな?と思って生活してきたような気がしています。
20代の頃からそんな感じで生きてきまして…アラフィフにもなれば…
ツヤ子にも『必ず訪れるその日』がこのタイミングで来たかぁと、思ったのです。
疲れた〜
クリニックを出ると緊張がほどけ、疲労感がどっと溢れてきました。
穿刺されたところは麻酔のせいかボワンと腫れっぽい感じがします。
こんな日は…
(スーパーで好きなお惣菜を買って食べて、痛み止めを飲んで、グッと寝るのが一番だ!)と思いながらトボトボ歩いて帰りました。
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