保育感の違いが対立軸
ツヤ子はよく、園児の発達問題(←最近、この問題が深刻になってきてます!)とそれに合わせた保育について保育士さんと相談します。
どの保育士さんも『良い保育がしたい!』と、思っているのを感じます。
けれど、そんな中で『あの人とは保育感が合わないんだよね』
と、言う言葉が聞かれます。
前回、ツヤ子が『保育理念の違い』が職員同士の対立を生んでいると書きました。
この言葉、『対立が始まりました』という感じです。
保育士さんは『まじめでやさしい』人達なのですが、その『まじめさ』と『やさしさ』の塩梅の違いで、保育の仕方、子どもとの関わり方が違ってくるのではと、ツヤ子は感じています。
『まじめ』強めの保育と『やさしさ』強めの保育の違い
ツヤ子が日々の保育を観察していて、勝手に考えた分類なのですが…
『まじめ強めの保育士』さんは、自分の理想とする子どもの姿に、子どもを当てはめるような保育の仕方をする傾向が見受けられます。
また、常に『自分が考える正しいこと』を子どもに求め、それができるまで厳しく指導が入ることも…
でも、本人は『子どものため』、時には厳しさも必要と考えている様子…。
『やさしさ強めの保育士』さんは、子どもの意思を尊重しつつ、個人差をみて、ある程度できていれば問題ない、という感じで保育をしている様子…。
『まじめ強めの保育士』から『やさしさ強めの保育士』の保育をみると『甘やかしてる』になり、
『やさしさ強めの保育士』から『まじめ強めの保育士』の保育は『厳しすぎる』と、いうことになるようです。
ツヤ子はこれらのことが職員同士の対立軸となり、日々の人間関係をこじらせているのでは、と思っています。
さて、この対立、どう治めるのがいいのか…
ツヤ子が見てきた様子では、対立が激化すると職員の大量退職を招き、人手不足、不適切保育という保育業界の問題へとつながっていきました。
まるで癌が色々な臓器に転移し、人を蝕むように保育園を蝕んでいきました。
またの機会に対立が激化したらどうなるかを書きたいと思います。
答えはまだわかりません
ツヤ子にはまだ、職員同士の対立を治める方法はわかりません。
苦し紛れかもしれないけれど、ツヤ子に相談に来てくれる保育士さんにはこう話すようにしています。
『子どもは大人の承認欲求を満たすための道具ではなく、一人の人間として尊重されるべきだと思うよ。』
『もし、保育の仕方に行き詰まった時は『自分(保育士)』のための保育になっている時かもしれないよ。とりあえず、独りで悩まないで、問題をみんなでシェアしていこう!』
悩める保育士さんとチョコ(←とりあえず、甘いもので元気を出そう!、ということで…)をほうばりながら喋るおばちゃん看護師の言葉では、あんまり説得力はないかなぁ😆