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俺か、ローランドか
【古賀コン6参加作品】
★☆☆☆☆
古賀裕人1st.写真集『俺か、ローランドか』を発売日に購入しました。
もとより私は写真集が、特に人物写真集が好きです。一枚の写真は時に言葉よりも雄弁に被写体の真実を写し出します。切り取られた一瞬が、一瞬であるからこそ、連続した時間の中では見えなかったその人の精神世界を、細い切れ込みの隙間から垣間見えるようにして表出させてくれるのです。
そんなわけですから、今飛ぶ鳥も黙る勢いの才人、「才能がノーパンで歩いている」と評される古賀裕人の写真集を、私が胸躍らせ東京音頭を口ずさみながら求めに向かったのも至極当然のことと言えるでしょう。
しかし、私の期待はハンドスピナーさえそこまでは空回るまいと思えるような空回りに終わってしまいました。シュレッダーにかけるだけでは収まらず、火をつけて護摩を焚き、呪詛の言葉を連ねたいほどの失望が私を襲っています。
いや、表紙を見た時から嫌な予感はしていたのです。文フリの帰りでしょうか、大量の本を抱えた古賀裕人の姿。隣には友人と思しき、声の良さそうな風貌の男がいますが、その笑顔は屈託がないとは言えません。内面の闇が滲み出ているような、どこかしら仄暗い陰を纏っているのです。そして彼らの背後には客が行列を作るラーメン屋が。大量の本を買ってラーメンを食う、なんという自制のない欲望の発現でしょう。試しにラーメン屋の暖簾を手で隠してみると、彼らはたった今悪事を働いてきた二人組のお尋ね者にしか見えないのです。
そして巻頭近くにある一枚。裏寂しい湖の水面から天に向かって突き出た剥き出しの二本の脚。上半身が水面下にあるのでコレが古賀裕人の脚かどうかは判断できません。しかし古賀裕人写真なのだから古賀裕人なのでしょう。こんな命がけとも言える撮影を敢行しておきながら、我々はすね毛の生えたおっさんの脚を鑑賞させられるのです。なんという理不尽。いったいこれは何なのでしょう。古賀裕人は犬神家の呪いで殺されてしまったのでしょうか。我々が古賀裕人だと思っている人物は古賀裕人ではなく、その正体は青沼静馬なのでしょうか。何を言っているのかわからないと思いますが、言っている私もわかりません。そのくらい困惑しているのです、
さらに巻末近くの一枚。溶鉱炉を思わせる、泡立った赤褐色の液体の表面から突き出た片腕がサムズアップをしている写真。これはもう命がけどころの騒ぎではありません。死にました。見えない部分はどう考えても骨だけです。これは命がけの状況においても、いや、絶対に助からないようなピンチにおいても、決してファイティングスピリットを手放さないという彼の決意の表明なのでしょうか。だとしてももう少しやりようがあるはずです。これではまるで、強いて想像するなら、強いてですよ、未来からやって来たサイボーグの死に際の挨拶にしか見えないではありませんか。知りませんけど。
ですが、胸を打つ写真もあるのです。たとえば古賀裕人が真っ赤な表紙の薄めの本を笑顔で読んでいる一枚。その表情には書物に対する無償の愛が、いや無償で書物は手に入りませんが、隠しきれない悦びが満ち溢れているのです。実際には顔は写っていませんが、きっとそうに違いないのです、もうこの一枚だけでいい。このシーンが連続写真で100枚あればそれでいい、そう思わせる一枚なのです。それならば私は躊躇なく★5を付けたでしょう。まあ読んでいる本によっては★3くらいになったかもしれませんが。
とはいえ、全体を見ればやはり★1よりうえを付けるわけにはいきません。壮齢男性の写真集というディスアドバンテージを考慮したとしてもです。よく出したな、というのが正直な感想です。なぜ買った、と訊かれても返す言葉はありません。
追記:BOOKOFFに持ち込みましたが、鼻で笑いながら一瞥されただけで引き取ってもらえませんでした。
〈了〉