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小林寺三十六房
※古賀コン5参加作品
【これまでのあらすじ】
戦に明け暮れる日々に嫌気がさし、武士を捨て山あいの農村で静かに暮らす古賀裕徳であったが、ある日、黒尽くめの集団が村を襲う。命からがら逃走した裕徳は、村を襲撃したのが織田信長率いる破壊工作忍者集団『血面党』であることを知る。血面党壊滅と信長打倒を誓う裕徳は、刀や銃をも凌ぐ最強の武術とされる「小林寺拳法」の噂を聞き、崖から転落したり川に流されたり熊に襲われたりの艱難辛苦の末、遂に熊野の山奥に隠れ立つ小林寺に辿り着く。
※
苔むした山門が蝶番を軋ませながら開くと、袈裟とも道着とも知れぬ質素な白い衣に身を包んだ禿頭の老人が裕徳を待ち受けていた。
「よくぞこの人外魔境に建つ小林寺に辿り着いた! 私は管長の小林伝然である! ここまで来たからには、小林寺拳法を極めんとする鋼の意志があるものと見受ける!」
老僧が威厳に満ちた声で言った。既に着衣は破れ、身体中傷だらけの裕徳は、しかし、力強く答えた。
「勿論です!」
「修行は厳しいぞ」
「覚悟の上です!」
裕徳は迷いなく言った、が、小林寺の門を目指した者は数知れずとも、志を果たして戻った者の話を誰一人聞いたことがないという噂も耳にしていたのであった。とはいえ、たった一人で強大な敵を撃ち倒さんとする裕徳にとって、頼れるものはもはや小林寺しかないのである。
老僧の背後には、小ぶりで飾り気のない伽藍を囲むようにして、無数の小さな小屋の如き建物が並んでおり、およそ名のある寺の境内とは思えぬ光景が広がっていた。伝然はその内の一つ、最も手前の小屋の中へと裕徳を誘った。内部はろくに調度とてない八畳程の畳座敷であり、奥の土壁に筆書の掛軸が一幅下がっているのみである。その前に、汚れた道着を纏った、やはり禿頭の見るからに屈強そうな男が、腕組みをして立ちはだかっているのであった。
「ここは小林寺第三十六房」男は低い声で静かに告げた。「ここには三十六の鍛練所がある。それぞれの房に掲げられた銘を会得した者が、次なる房に進むことが出来るのだ。そしてすべての銘を自らのものとすることで、小林寺拳法の達人となることが出来る!」
「銘、とは」
困惑を露わに裕徳が訊くと、男は「座右の銘、の銘だ。教えと言ってもいい」と答えた。
伝然が言う。
「この者はこの房の住持である。住持が銘を会得出来たかどうかを判断して、次の房に進む許可を与えるのだ」
「なるほど」
頷きながら、裕徳は掛軸の文字を読んだ。
【「邪武」肘を左脇から離さぬ心構えで、やや内角を狙い、えぐりこむように打つべし】
(なんと実践的な! これが三十六……果たして俺に会得出来るだろうか……いや、やらねばならぬ。やらねばならぬのだ!)
そしてその日から、裕徳の朝も夜もない過酷な修練の日々が始まったのである。
※
遂に第一房の扉の前に裕徳は立った。
当初実戦的と思われた修練は、次第に人智を超越したものとなっていき、【敵の心を読み切れば即ち敵にあらず】を銘としたジャンケン二十連勝はまだしも、【敵を欺けば憂いなし】とする犬猫の鳴き真似であったり、【真に強き者は口喧嘩でも強い】とする早口言葉対決であったりした。広辞苑の如き知識を持つ第二房の住持にしりとりで勝つまでには半年を要した。しかし裕徳は、いまや恐るべき「る」の使い手であった。果たして小林寺拳法の仕上げである第一房にはいかなる試練が待ち受けているのであろうか。
裕徳は意を決して眼前の戸を開いた。そこに立っていたのは管長伝然その人であった。
そして肝心の銘はといえば、いかにも勿体ぶって軸に巻かれたままなのであった。
「この第一房にまでやって来た者は過去にいない」と、伝然は言った。「今こそ最終奥義たる小林寺拳法の極意をおまえに伝えよう」
伝然は一歩引くと、掛軸を留めてある紐をおもむろに解いた。軸先の重みで掛軸がばさりと広がる。そこに書かれていた銘は。
【そんなわけないだろう】
「なっ!」
驚いてたじろぐ裕徳に、伝然が告げる。
「形あるものには必ず弱点がある。小林寺拳法の究極の極意、それは無だ! 鍛え、会得し、然るのちにすべてを捨てる。その時おまえは何者でもない! 何者でもない者に恐れなく、無である者を倒すこと能わず!」
裕徳ははっとした顔で目を見開き、そうかっ!と叫んだ。そして深々と頭を下げると、遂に山を降りるべく門の外へと駆け出して行った。
その背中を見送った伝然は、ふーっと息を吐くと、誰にともなく呟くのであった。
「天才と馬鹿は紙一重……いや、同じ紙の裏表よのう。わしだって意味わかんねえのに」