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Stand By It
「何だと思う?」
クラスメイトが掌に乗せた石を見せながら言った。よく見るとそれは石ではなく、緑色の塗料がついたコンクリートの破片だった。椎谷灯台の欠片だと彼は言った。自転車で行って来たという。
僕たちは色めきたった。椎谷灯台までは往復四十キロはあるし、自転車で校区外へ出ることは禁止されていたし、なにより僕たちはまだ小学三年生だった。
その日から彼はちょっとした勇者になった。
「俺たちも行こう」と負けず嫌いのKが言った。
日曜日。学校近くの神社にKと僕、そしていつもつるんでいるAが集合して、公園に向かうような気楽さで走り出した。海岸線に出ると、弧を描く陸と海の境界の先に椎谷岬の輪郭がぼんやりと見えた。
遠いなあ、とAが言った。
市街区の先で防砂林が消えた。路肩に積もった飛砂でペダルは重く、トラックが巻き上げる埃は公害並みだ。僕たちはただ黙々とペダルを漕いだ。埃で喉が焼け、汗で眼がしみた。
行程も半ばを過ぎたかというところで、Kが自動販売機の前で自転車を止め、僕たちは肩で息をしながら缶ジュースを買って飲んだ。無言だった。三人とも誰かがやめようと言い出すのを待っていた。
「行くか」
諦めたようにKが言った。
途中、パトカーが横に停まった。学校を聞かれたら正直に答えるべきか逡巡していると、警官は「車道にはみ出さずに走りなさい」とだけ言って走り去った。パトカーが見えなくなると、僕たちは妙なテンションになった。岬の急坂が見えてきた。僕たちは絶叫しながら坂に突っ込み、力尽きて倒れ、笑いながら自転車を押した。
椎谷灯台は外壁が潮風で風化して無数のヒビが入り、剥がれ落ちた欠片が山になっていた。僕たちはその一つをポケットに入れて帰路についた。身体のあちこちが攣った。尻が攣るのなんて初めてだった。
五年生のある日、僕は一人で行ってみようと突然思い立った。きっと、何かになりたいという曖昧な衝動だったのだろうと思う。だが、道路は途中で通行止めになっていた。看板には「柏崎刈羽原子力発電所建設予定地」とあった。
今、僕たちが走った砂まみれの路は、広大な敷地を迂回する広く綺麗な道路になっている。そこを通るたびに、僕は有刺鉄線の向こう側に想いを馳せる。決して取りに行けない忘れ物がそこにあるような気がする。
僕は大人になれているのだろうか。