『新007/完璧な日曜日』シーン3
日曜の昼下がりにシャフツベリー・アヴェニューのカフェでバナナサンデーを食べながら少年サンデーを読んでいたジェイムズ古賀の前にブカブカのブルゾンを羽織った体格の良い男が立つ。
「オー、アナタガコガ=サンデースカ?」
「いかにも」見上げた古賀は男の一挙一動を見逃すまいと警戒モードを最大に引き上げて答える。「オバケのQ太郎に見えるか」
ハッハッハッと仰け反りながら笑い声を上げる男は、上体を戻しながらブルゾンの内側に右手を入れると「デハオバケニナッテクダサーイ!」と言いながら大型の自動拳銃を取り出して古賀に向けるなりトリガーを引く、が、発射された弾丸は無人の椅子の背を貫通する。瞬間、古賀は超人的な身のこなしで丸テーブルの下に潜り込んだのだ。手品のような早業に驚愕する男。
「ニンジャ⁉︎」
叫び終わる間もなく、宙に浮いたテーブルが男を弾き飛ばす。一目散に走り出す客また客。悲鳴のユニゾンが不協和音となって男の聴力を奪う。頭から血を流しながら立ち上がった男は周囲を見回す。古賀はどこだ。あそこだ。空中で一回転しながら通りに面したファサードのガラス窓を蹴破って脱出するグレーのベルサーチ。
破片と共に歩道に着地し走り出す古賀は、いきなり車道に飛び出すと丁度背後からやって来た白いルノーの運転席ドアを開けて飛び込む。それは既に遠隔自動操縦で彼を追っていた古賀の車、通称「古賀カー」なのだ。
アクセルを踏み込み対向車の隙間を縫うようにして先行車を追い抜いて行く古賀がルームミラーに目をやると、そこにはバイクに跨って激しく迫るブルゾンの男。
「こちらスレイ・サンデー。謎の男に追われている」
古賀が冷静な声で告げると、MI6直通の秘匿回線から上司Mの輪をかけて冷徹な声が届く。
「スレイ・サンデー、緊急事態だ。たった今ブルー・マンデーとロンリー・サーズデーが殺られた」
なんということか、謎の敵は今回の作戦に携わるエージェントを同時に襲撃して皆殺しを企んでいるのだ。
「まだ始まってもいないのに?」
(内部に敵のスパイが?)
古賀の表情が一瞬曇る。ロンドン市内に張り巡らされたテロリストの連絡網を炙り出し一掃する作戦『安息の週末』に早くも暗雲が立ち込める。
赤信号に突っ込んだ古賀の背後で急制動をかけた赤いトヨタが対向車線のピックアップ・トラックに接触して横転する。銃弾が一発、ルノーの防弾リアウインドウに蜘蛛の巣のような傷を走らせる。古賀がナビ・システムを操作すると、Q課が組んだプログラムがあり得ないルートを表示する。
「ブラック・フライデーからの通信が途切れた」
「何ですって」古賀はいたって平坦な口調で言う。「新しいスーツを買い損ねた」
「定価で買えよ、ジェイムズ」
視界が急に開けて目の前に広がるのはテムズ川沿いの公園。だが互い違いに埋め込まれた鋼鉄の車止めが古賀の行手を阻む。さらに銃声。見ると男のバイクはいつの間にか古賀の背後にぴったりと付いている。
古賀はダッシュボードのスイッチの一つを押す。ルノーのバンパーが外れて前方に射出され、乗り上げた車体が宙を飛ぶ。着地したのは車止めの向こう、公園の中だ。
追跡者は何が起こったのか理解出来ないまま全速力で車止めに激突する。男の身体が高速回転しながら舞い上がり地面に衝突する。
ほっと息を吐く古賀。だが古賀の目はその様子を追い過ぎていた。ようやく前を見るとそこは既に川岸の端。ブレーキを踏む間もなくテムズの川面に飛び出したルノーは激しい水飛沫を上げながら着水して沈む。近くでボートに乗っていた釣り人が波に揉まれながら、沸き立つ泡を呆然と見ている。
やがて浮かび上がってきたのは車体から分離したルノーの運転席。その外周に取り付けられたエアバッグが膨らみ、ゴムポートよろしく水面を滑り出す。
「釣れますか」
ずぶ濡れの古賀が釣り人に声をかける。
「あんた、何をしているんだ」
「ちょっと川下りがしたくなりまして」笑いながら古賀は言う。「せっかくの日曜日なのでね」
(フェード・アウトからのメイン・テーマ)
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