サイコレイダー
俺の名は台場裕人。サイコレイダーだ。サイコレイダーとは何かとおまえは問うに違いない。問えよ。他者の精神世界に入り込み、記憶を探る能力を持つ者、それがサイコレイダーなのだ。誰だ、今パクリと言った奴は。俺は誰かを真似てサイコレイダーをやっているのではない。そもそも真似て出来ることではない。夢枕獏など読んだこともない。
インドの山奥で修行し、鳥や獣や草木の声に耳を澄まし、この世界に満ちている精神エネルギーの場『理力』をはっきりと実感出来る様になった時、俺は自然にその能力を身に付けたのだ。生きとし生けるあらゆる存在は『理力』によって繋がっているのだ。俺は自分の精神をその『理力』によって他者の精神世界へと送り込むことが出来るのだ。断じてパクリではない。信じるか信じないかはおまえの人間性次第だ。
ちなみに台場裕人は本名ではない。俺の師匠から取ったサイコレイダーネームだ。師、ダイバ・デシタは言った。おまえの能力は世界を救うかもしれないが、同時におまえは世界から命を狙われることとなるであろう。
果たして、人として見過ごせぬ事件をサイコレイドによって解決した俺は、謎の刺客によって殺された……ということにして、実は名を変え、戸籍上は存在しない人間として生きている。能力故に殺されかけたとはいえ、能力がなければ当局が俺を必死で生かそうとすることもなかっただろう。そう考えればプラマイゼロだ。戸籍はなくとも所属はある。警察庁刑事局直属特別捜査官台場裕人、それが今の俺だ。
俺はベッドに横たわる痩せた老人を見下ろした。見覚えのある顔だった。むしろよく知っていると言っていい。ここ連日、テレビのニュースで見ない日はなかったのだから。過労で入院したというのは、よくあるカバーストーリーだった。実際には警察庁の、存在しないはずの地下五階に運び込まれたという訳だ。どんな手を使ったのかは知らないが、有体に言うなら拉致監禁だろう。薬が効いて寝息すら聞こえないほど昏睡している。
平島佐平元防衛大臣。国家機密を第三国に漏洩した疑いにより、不逮捕特権で拘束こそされてはいないが、国会で嵐の如き追求を受けている。もっとも本人の答弁は「記憶にない」の一点張りだ。
「遂に実力行使ですか」
俺が訊くと、俺の存在を知る数少ない人間の一人、公安の森本警視正が顔を歪めながら言った。
「既に国際問題なのだ。痺れを切らした米軍が動き始めてもいる。背に腹は変えられん」
「メンツの話でしょう?」
「実害の話だ。地位協定の逆行すらあり得る。とにかく、如何なる情報が何者に渡ったのかを一刻も早く突き止めねばならん」
「K国ではないのですか」
「それならまだマシだよ。敵が新聞社に流した偽情報かもしれないではないか」
埒があかない。俺は口をつぐんで、老人の頭の先に置かれた安楽椅子に身を沈めると、右手を開いてゆっくりと皺の目立つ額に乗せた。
(同調)
サイコレイドは眠っている相手にしか使えない。もし覚醒していたなら、被術者の正気は一分と持たないだろう。脳内を他人が勝手に動き回るのだから。酷い悪夢は避けられないとしても。
だが危険なのは施術者も同じだ。サイコレイドを依頼されるような人間の精神世界は魔獣が棲む迷宮なのだ。現実が代々木公園なら、そこはアマゾンのジャングルなのだ。現実がドトールなら、そこはスターバックスなのだ。トールとかグランデとかってなんだ。M、Lでいいじゃねえか。ベンティに至っては覚えられすらしねえ。
精神を集中すると視界が消え、意識が右腕を通って、掌から老人の脳内へと入って行く感覚がわかる。
と、途端にビジョンの大津波が押し寄せ、俺は危うく押し流されそうになる。途方もない圧力だ。国会で怒涛の追及を受ける光景が大半だ。平島はそれらを心に留めないようすべて受け流しているのに違いない。その奔流を必死でかき分け、突き抜けるとふっと静かな空間が広がった。幼い頃に見たモノクロの風景や新人議員時代の熱量を帯びた記憶が、360度のパノラマとなって高速で流れていく。俺は走る。ビジョンを突き破る度に新たな映像が俺を取り囲む。どこだ。最近の記憶のはずだ。ないはずはない。ないはずは。
自問しながら疾駆する俺の眼前に、どこから現れたのか、顔のない鎧武者が唐突に立ちはだかる。
(出たか、守護者)
追い込まれた精神が作り出す脳内の怪物、それが守護者だ。実態を持たぬエネルギー体とはいえ、レイドしているこちらとてそれは同様、対峙には命の危険を伴うのだ。
俺は立ち止まり、握った右手にありったけの精神エネルギーを溜め込んだ。おまえが背後に隠したビジョン、見せてもらおう。
だが、鎧武者は砂糖菓子が崩れるように消え失せ、一瞬の後に世界を暗黒が包み込んだ。緊急離脱。
部下の報告を受けた森本警視正が無言で俺を睨みつけた。
「何もしていませんよ」と俺は先に言った。「それとも殺人容疑で逮捕されるんですか」
「精神力だけで脳自死したと?」
「過去に二人います」俺は努めて冷静に言った。「精神エネルギーを防御に全振りしていたんですよ。毎日全国民の眼に晒されながら罵倒され、売国奴扱いされていたんですからね。負けを悟って気力が潰えたのです」
「で?」吐息混じりに森本が訊く。
「ありませんでした」
「何だと?」
「そんな記憶はどこにもありません」
「馬鹿な!」
「彼は本当のことを言っていたんです。『記憶にございません』は今や政治家が疑惑を逃れるためのミームと化している。その言葉を使えば誰もが嘘をついていると思い込む。でも言葉の意味はそもそも『覚えていない』以上のものじゃない」
森本が天井を仰いだ。
俺は嘘をついた。
老人は気力を失ったのではない。記憶を完全に消し去るために全エネルギーを使ったのだ。命と引き換えに。
鎧武者が崩れ落ちる背後にほんの一瞬だけ垣間見えたビジョン。泣きながら土下座する男は確か娘婿の参議院議員門脇修平、秘書に連れられて現れた幼い孫娘に駆け寄る母親。そうか、生い先短い我が身を挺し、悪名に甘んじて家族を守り抜いたのか。そして見覚えのある、そこにいるはずのない男。
(あれは確か外事課の……)
公安に外部調査が入ることは、俺の存在も危うくなるということだ。一度死んだ古賀裕人は台場裕人として再生した。二度も死んだら流石に三度目はないだろう。
俺が決着をつけなければなるまい。
【次回予告】
事件の黒幕を突き止めるため、危険な覚醒レイドを強行した俺の前に、恐るべき魔獣の群れが立ちはだかる。そいつは精神強化訓練を受けたR国のスパイだったのだ。次回『サイコレイダー』第二話「古賀裕人は二度死ぬ」に、レッツ同調!
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