【13】 入院生活
社不の掃き溜めといっても、全員が四六時中狂っている訳ではない。たまに症状が出ておかしくなるだけで、普段は穏やかな人が多かった。気が向いたときは話したり、トランプやウノをして遊んだりもした。一人の時間は本を読んだり、貴重な閉鎖病棟の記録として日記を書いたりして過ごした。ただただやることのない暇な時間ばかりが積もる環境が拍車をかけて、当時の私の記録魔っぷりはすごかったと思う。
その頃の何冊にも及ぶ日記はなかなか面白くて、退院してからも何度も読み返した。捨てなきゃ良かった。仲良くなった人たちが退院していくときに、私のノートに寄せ書きみたくメッセージを書き残すのがお決まりの流れとなった。
電子辞書は持ち込むことができたので、漢字検索や広辞苑での調べものによく使用した。高校生の頃に使っていたその電子辞書には、タッチペンでフリーハンドに書けるメモ機能がついており、なんとなく見返すと、Sくんが書き残した「好きすぎてラリる」というへなへなの文字があった。別れてから初めて発見したそのメモで、感概深くて切ない気持ちになった。別れてから一年は経っていただろうし、ヨリを戻したい訳でもなかったが、学生時代の4年のお付き合いというのは、なかなか特別なものになっていた。全く嫌いにならないどころか、ずっと好きだったし、大切な思いは今だって変わらない。幸せになってくれ、と願った。
その病棟はずいぶんと昔からあったようで、古くて暗くて寒々しい、いかにも精神病院です!といわんばかりの不気味な建物だった。しかし私が入院して一ヶ月程たった頃に、新しく建てられた新病棟へ全員がお引越しとなった。今までのおどろおどろしい雰囲気からはうってかわって、白くて清潔感のある壁と床がとても眩しく感じた。
以前は1つもなかった窓がたくさんあり、なんと中庭へも出られる!
もちろん柵で囲われてはいるが、緑がたくさんあって、自然の風を感じられるだけでとても呼吸が楽になったのだった。午後3時からの中庭開放の数十分間、注文していたお菓子を持って外に出るのがルーティーンとなった。
(病棟には「お菓子カタログ」なるものがあって、朝のうちに希望のお菓子やジュースを書いた注文用紙を出せば、午後3時にそれらが届くシステムだった。)
私は毎回グリコのキャラメルを注文し、おまけのおもちゃをコンプリートしようとしていた。鬱症状もかなりマシにはなってきていたと思う。
でもそれは、外界から完全に遮断された、入院という環境に限られた話で、やっぱり家には帰りたくなかった。家に帰れば薬を飲むし、薬を飲めば母が悲しむ、ブロンを辞める自信はないし、その頃はどうしても、本気でやめようとは思えなかった。