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Re:執筆記録をつけてみた
私は毎日執筆した文字数の記録をつけています。もうかれこれ3年間以上続いている習慣です。
執筆日記については以前にも記事を書いたことがあったのですが、3年間続けてきて分かった、文字数を記録することのメリット・デメリットについて書いていけたらいいなと思います。
執筆記録のつけかた
執筆記録の付け方はいたってシンプルで、年月日と曜日、書いた文字数と作品と執筆時間、そして今日のひとこと(身体の調子など)を記録している程度です。
昔は疲労度(1~5の間でどれぐらい疲れているか評定する項目)や天気などの項目も入れて、どのコンディションのときがいちばん書けるのか分析しようとしていたときもあるのですが、面倒くさくなっちゃってやめました。
以前私が書いた記事を読んでくださった方がいらっしゃって、その方が執筆記録のシートを作成してくださったので、そちらを使用するのが記録しやすいと思います。グラフが自動的に生成されるようになっており、非常に扱いやすいです。
文字数を記録して執筆という行動をマネジメントするという発想は、この本から得ました。
また、アメリカの小説家であったヘミングウェイは毎日文字数を記録していたということが、こちらの本にも書かれていました。
この本は科学者や作家、芸術家といった創造性に富んだとされる人たちの習慣が書かれていて、創作をマネジメントする上でも非常に役立つ内容になっております。
また、自己記録と文字数という記録で論文を検索したところ、以下のような論文を見つけました。
論文の子細はこれから読もうと思っているのですが、ざっと読んだ感じですと大学院生3名を対象に、論文投稿という目標の達成に成果のフィードバックがどの程度影響を及ぼすのかという研究みたいです。参考までに。
執筆を記録するメリット
成果の積み重ねの可視化でやる気が湧くようになった
執筆日記をつけ始めていちばん実感したのはこれですね。やはり文字数が10万字を超えた月は「たくさん書いたな」ということが実感できます。積み重ねた成果や辿ってきた道筋を記録するというプロセスは、習慣を維持することにおいて非常に大切だと思っています。
くじけそうになったときや諦めそうになったとき、自分の心を支えてくれるのは「自分はうまくやっている」という前向きな思考ではなく、失敗や苦い経験を含め確かに積み重ねてきたという揺るがぬ証拠であるというのが私の持論です。
なんかうまく筆が進まないなと思ったときは過去のアーカイブを見返して、自分を奮い立たせるようにしています。塵も積もれば山となる、ということわざがありますが、過去の記録が積もるにつれて、自分が物書きとしてどんどんレベルアップしているような感覚になり、自信がつくようになりました。目に見えてわかる実績・成果というものは自分の心を支えてくれると思います。
自分の執筆パターンを把握できるようになった
執筆の形跡をたどっていくと、自分がどのタイミングで最も執筆がはかどるのか、普段は何文字ぐらい書くのがベストなペースなのか分かってくるようになります。
たとえば私は、0字の状態からスタートしたときはかなり遅く、多くて4000字書ければよい方なのですが、物語の土台が固まり始める5000字あたりから執筆のスピードが速くなってきます。エンジンがかかるのに時間がかかり、緩やかにスピードが上がっていく、スロースターター型かもしれません。最初は遅いですが、筆が乗り始めると、書けるときには1日で10000字ぐらい書けるときもあります(さすがに消耗は激しいですが)。
基本的には1ヶ月に10万字書くので、1日あたりの平均執筆量は3000字になるのですが、日にち単位でみると文字数はまちまちで、1000字ぐらいのときもあれば、10000字を超えることもあるといった具合です。
節約をするために日々の支出を家計簿に記録している方もいるはずです。お金を管理するのに家計簿が役立つように、執筆日記で日々のパフォーマンスを記録しておくことは、執筆という行動を管理(セルフマネジメント)するのにも重要であるといえます。
執筆する習慣を維持できるようになった
執筆をしない日には0という数字が残ります。この数字、見ているとすごくモヤモヤしてしまうんですよね。
それに記録をつけ始めたからには、少しでもいいから成果を残しておきたいという心理がはたらきます(あくまで主観です)。日々の執筆のパフォーマンスを記録することは、ただ形跡を残すことだけでなく、執筆に対するモチベーションを維持するための強力なツールになり得ると考えます。
執筆を記録するデメリット
埋めなきゃいけないという脅迫感とどう向き合うか
ここまで執筆日記をつけるといいことについて書いてきました。しかし、執筆日記にも負の側面はあると思います。それは、日記を埋めなきゃいけない・書かなきゃいけないという脅迫感にも似た感情が、人によっては生まれるかもしれないということです。
目的と手段の入れ替わりというべきでしょうか。自分の執筆をマネジメントするために使っていたはずが、いつの間にか記録を埋めるために文字数を稼ぐようになる……といったような具合でしょうか。今の私がこの状態に陥っているので、なんとかしないといけないと思っているところです(そう言いながらも今この記事を半ば無理やりに書いているのですが……)。
この、目的と手段が入れ替わってしまう心理効果のことを、アンダーマイニング効果(undermining effect)といいます。アンダーマイニング効果は、外的な報酬(金銭など)が内発的な動機づけ(報酬によらない動機づけ。対象となる行為が好きだからやっている状態)を低下させるという現象です。
創作に置き換えると、最初は好きでイラストを書き始めていたはずなのに、活動を進めていくなかで「いいね!」の数を気にするようになり、気がつけば他人からの評価を得るためにイラストをかくようになる……といったことを説明する心理学の理論です。「いいね!」を気にして、創作がはかどらなくなってしまうという経験は、創作者である方ならば少なからず経験したことがあると思います。
私もいま、執筆日記をつけることにおいて、アンダーマイニング効果に似た現象を経験しています。体力が消耗していると分かっているのに、0文字でその日を終えるのがいやだから、ダラダラと書いてしまう。それでさらにやる気が削がれてしまう。そんな日々が続いています。
たしかに執筆日記は、執筆という営みを管理するのに有効な手段のひとつかもしれません。ただ、それが合うか合わないかは個人差が相当あると思います。この前冬コミでこのやり方を実践されていた方も、先月の文字数と今月の文字数を比較して落ち込んでしまう、という話が出てきました。
それに執筆という営みは、色んな要素から成り立っており、決して書くことだけが該当するわけではありません。次回作の構想を練るためにプロットを練ったり資料集めをしたりする時間も、ふと思い浮かんだ妄想を頭の中で膨らませていく工程もすべて、執筆活動だと思います。
また執筆活動は、多様な要素から成るだけでなく、PDCAサイクルのような循環があります。例えば研究(社会科学)だと、先行研究の収集→仮説の立脚→データ収集・論文執筆→学会発表・雑誌への投稿→次の研究計画……といったように一連のプロセスがまとめられます。
これを創作に置き換えてみると、物語の構想を考案→プロットの作成→本文の執筆→本文の校正→発表・フィードバック→次の物語の構想を練る……といった具合にまとめられます。このサイクルは一方通行ではなく、ときに行ったり来たりします。
執筆日記で記録しているのは、あくまで本文の執筆という一部分しか捉えられていないことが分かります。執筆という行動を評価するにはあまりに限局的すぎるのです。いまは文字数の方が管理しやすいから毎日文字数を記録しているのですが、今後は執筆だけでなく、プロット作成といった他の要素も含めて、執筆という一連の行動を記録できる手段が必要になってくると思います。
自分に合った方法にチューンナップ出来たらいいなと思いつつ、そろそろ目が疲れてきたのでこのあたりで筆を置きたいと思います。