誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。 どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ。
多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。その物にまつわる自分の思いやりや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。 つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。
ここに希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していないならば、それが希望だとはわからない。希望の何をも見ることも聞くこともできない。
快適に美しく生きたいと願うのなら、そのコツは芸術家の技術が教えてくれる。例えば画家はものの配置に気を遣う。わざと遠くに置いたり、斜めからのみ見えるようにしたり、夕焼けが反射するようにしたり、影が効果的になったりするようにする。 これと似たことを生活の中でわたしたちはしている。インテリアの配置だ。使い勝手だけを考えて家具を置くわけではない。美しく生活できるように工夫をこらす。そうでないと、雑多でめちゃくちゃな空間の中で暮らさなければならなくなるからだ。 同じようにわたしたち
君の立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足下にある。
たまには広々とした自然の中に出てリラックスしよう。自然は清々しいばかりではなく、わたしたちに何の意見も文句も言わないのだから。
住居をあたえ、娯楽を与え、食べ物と栄養を与え、健康を与えたところで、人はまだ不幸と不満を覚えるだろう。 人は圧倒的な力というものを欲しがっているのだ。
そこには、今までは歩く際に遠く見下ろしていた草花や虫とは別の世界がある。幼い子供が毎日あたりまえのように目にしている姿が広がっている。
ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。遠くから想うとき、いろいろなことがとても美しく見えてくるのだから。