最強の陰陽師、安倍晴明の歴史
こんにちは!
ガッチャンです!
今回は、前回の関連しているお話です!
前回、酒呑童子(しゅてんどうじ)のお話をしましたね!
リアルデットバイデイライト!最恐の鬼 心霊スポットの妖怪|歴史雑学の旅 ガッチャン #note https://note.com/04050503/n/na331a2b7f4fc
このお話の中で、出てきた人物
安倍晴明をご紹介していきます。
彼は最強の陰陽師とも言われており、現在でも彼の結界が張り巡らされているそうです
皆さん、鬼門、裏鬼門って聞いたことありますよね?
当時の京都は、悪霊がいると信じられていました。
そこで天皇は、晴明に占わせ、すべての入り口に神社を建てさせました。
さらに、それを点で結び結界を張ったのです。
このお陰で、現在も古い建物が多くのこっているとも言われています。
しかし、彼は謎の多い人物でもあります。
彼を知れば、京都旅行が楽しくなること間違いなし!
是非ご覧ください!
そもそも陰陽師って?
皆さんが思っている陰陽師のイメージは、術を使ったり、呪ったりなどだと思います。
しかし、実際のところ、陰陽師とは国家公務員の扱いを受けていました。
陰陽寮というところの役職なんですね!
ちなみに定員は6名と狭き門だったようです!
実際、どのようなことをしていたかというと、主に占いをしていました。
吉凶を占い今後の予測をたてる事が仕事だったんですね!
もう一つはお祓い。
このイメージはあったのではないでしょうか?
占いをする時に重要なのは、天文学、暦、時間
これらをすべて使っていたため、相当な頭のよさだったと考えられますね!
安倍晴明とは?
921年、現在の大阪府阿倍野区に生まれたとされる説や、奈良県桜井市安倍とも言われ、子供の頃の記録が残っていない謎の人物です。
賀茂氏から陰陽道を学び、後に晴明が開く安部氏流土御門家は賀茂毛家と並び、二大陰陽家となります。
彼が登場するのはなんと40歳を過ぎてから!
当時の平均寿命は35歳だったことから、すごい人物だとわかりますね!
しかし、最初からすごい人物だったわけではありません。
彼が登場した40歳の時は、まだ陰陽道を学ぶ学生だったのです。
さらに、彼の母親は葛の葉と呼ばれる狐の妖怪との説もあります。
能力が付いたのは彼女のお陰かもしれませんね!
遅咲きの天才
979年、当時の村上天皇の命で、那智山の天狗を封じる儀式を執り行いました。
この儀式ごろから、天皇や貴族の間では、晴明の評価が高まっていきます。
993年、一条天皇が病に倒れたとき、晴明は禊を奉仕しました。
すると不思議なことに天皇は体調を回復していきます。
さらに1004年には、干ばつが続き深刻な問題になっていました。
天皇は、晴明に雨乞いの儀式を任せます。
するとたちまち雨が降りだしたそうです。
晴明は85歳でこの世を去りました。
現代人の平均寿命とほぼ変わらない程の長生き。
きっと当時では化け物扱いされたでしょう。
晴明の伝説
晴明には多くの伝説が残っています。
有名なのは、12神将の式神を使いこなしたと言うものです。
名前をあげるとすれば、毘沙門天などですかね!
通常の陰陽師では、使いこなせないレベルの式神を、玄関のドアマンのように使っていたようですよ!
次は、葉っぱと蛙です。
ある日、若者が晴明の家を訪ねてきました。
その若者はこう言ったようです。
本当にあなたが力を持っているのなら、この場で見せてくれ
なんか腹立ちますよね(笑)
晴明は、口元を緩めて葉っぱをちぎり取ります。
その葉っぱに呪文をかけて池へと投げました。
すると、池にいた蛙の上に落ちます。
その瞬間、蛙はつぶれてしまったのです。
なんだか聞いてて恐ろしくなります(笑)
晴明神社
京都にある晴明神社は、晴明の屋敷跡にたてられました。
ここには、晴明が従えていた式神たちの像や、念力で湧かせた井戸などが残っています。
しかし、晴明の墓はありません。
晴明は、渡月橋の近くに眠っています。
しかし、晴明ゆかりの神社は多数あります。
大阪、名古屋、奈良などに存在していますので、良ければ行ってみてください!
この屋敷から出たあとすぐのところにあるのが一条戻り橋
この場所こそ鬼退治のゆかりのある場所なんですね!
これは次回にお話ししましょう!
では、今回はこれでおわりますね!
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