大学3年生
リハビリから、始まった大学3年目。
賛否両論あると思いますが、私は怪我の回復とリハビリを第一に考えました。焦らず治すのと早く復帰するためにリハビリすることは、異なります。自分のためにも、チームのためにも、一日でも、早くレスリングに復帰する為に、無駄な移動を避け、早稲田大学レスリング場へ行かず、国立スポーツ科学センターのリハビリへ通いました。授業が終わっては、リハビリに通う毎日でした。これを理解してくれない方もいました。しかしながら、リハビリに熱心に取り組めた事が、年内の復帰に繋がりました。
復帰に、1年から1年半かかるとされるこの怪我を、手術をした1年後の3月に復帰するようでは、オフシーズンのため、試合がありません。そのため、私は、復帰をどれだけ早める事ができるのか、逆算して、計画を立てました。
術後4〜5ヶ月
ランニングからダッシュ
7〜8月
術後6〜7ヶ月
サイドステップからレスリングの動き
9〜10月
8ヶ月
レスリング 試合形式 11月
11月には、レスリングができるように調整を行い、11月末の秋の学生選手権で優勝することにより、天皇杯79kg級の出場資格を獲得する。そしてオリンピック非階級である79kg級で
全日本チャンピオン
になると、目標を立てていました。
オフシーズンに入る前に復帰したい!
そんな思いでリハビリに取りかかりました。
膝の曲げ伸ばしや、大腿四頭筋などの筋力アップなどのリハビリを中心に、まずは、走れるようになるためのトレーニングをしました。走れない分、低酸素室を活用して息を上げたり工夫しました。
リハビリだけではなく、左脚以外の強化にも力を入れました。両手と右脚のみを使い、クライミングなどをしました。
入院生活や有酸素運動が行うことが難しいかったけれど、トレーニングをしている分、お腹は空きます。また、レスリングが出来ないストレスからも食欲で紛らわせていました。その為、体重がMAX88kgを超えていました。流石の自分でも、驚きました。
6月に入り、ようやくジョギングが出来るようになり、目標としていたランニングも間近というところまで回復してきました。いつになったら、レスリングできるんだろうか。
3回目のリーグ戦
「俺が出てたら優勝できてたな〜」
心の声です。メンバーも揃っていました。自分が試合に出てたら優勝出来てた。自信を持って言い切れます。
言い切れるからこそ、
悔しくて、胸が痛むんです。
この気持ちを誰かに言ったことありません。怪我をしたのは、自分が悪いです。仕方ないです。負けるよりも悔しいことってあるんだなって思いました。負けることすらできないことです。戦えないことです。
勝ちたい気持ちは、チームのみんなと一緒でした。だから一番声を出して応援しました。
(ヤジも一番飛ばしてたと思います)
反省してます。ごめんなさい。笑
3年生となり、大学に入学してから、一番お世話になった1学年上の先輩方に恩返しできなかったことは、今でも心残りです。
その代わりに自分が4年生となった時に後輩たちに何か一つでも残せるモノを残す。
そう決心しました。
**3回目の インカレ **
サイドステップなどの横の動きもできるようになり、少しずつレスリングの動きも取り入れてた練習ができるようになってきました。予定通りの回復具合ですが、手術をした時からわかり切っていましたが、未だにインカレのマットには上がれませんでした。いつになったら、レスリングできるんだろうか。
予定の秋季学生選手権まで我慢我慢...
そんな時は、やはり息抜きが大事ですね!
海を越えてシンガポールへ行きました。
未知の世界を知る。
新しいものに触れる。
ワクワクする事が大好きです!
※こちらも後日、ご紹介いたします!
「子供が好き!」という事もあり、私の古巣のチームに行き、子供たちにレスリングを教えています。子供たちの興味意欲や体力には毎度毎度驚かされ、大変励みになります。
夏休みが終わり、全国グレコローマン選手権がありました。自分の出ない試合に行くのが日に日に辛くなり、審判として会場に行くことにしました。また、レフリーをする事にはメリットがあります。レフリーをやることにより、レフリーの目線も知る事ができます。つまり、ルールを把握し、ルールを活用する事ができるのです。レスリングをした事がない人が、ルールを理解するのが難しいように、レスリングをしている私たちも全てのルールは把握し切れていないのです。相手より少しでも優位に立つためには、ルールも勉強しないといけないと思いました。
いよいよ、復帰の時!!!
https://www.japan-wrestling.jp/2019/12/02/155039/
レスリング協会の方が、記事にしてくれました。本当にここまで長かったです。
予定通り 秋季学生選手権 優勝
待ちに待った 天皇杯
一年通して、毎年思うこと。
この一年この大会のために、頑張ってきた。
優勝候補の一角とされ、自分自身も優勝する出来ると思っていました。オリンピックの選考も引き続き行われていることから、非オリンピック階級は、層が薄くなりレベルも低くなるまたとないチャンスだった。
現実はそんなに甘くなかった...
準決勝まで勝ち上がり、明治杯チャンピオンとの対戦でした。スーパー高校生と称される相手に、先制点を取り、順調な試合展開だと思っていました。普段取られない左脚をことごとく二回も取られ点差は、逆転され、突き放されました。一方的に守られると簡単に点が取れるものではありません。その時出せる全力を出しました。単純に負けました。まだまだ、これから頑張らないとな、悔しい。そう思いました。
しかしながら、天皇杯での表彰台は、初めてという事もあり、大怪我からの手術を行い、術後9ヶ月で、ここまで来れたことに胸を張ります。
でも、やはり、やるからには、1番
大学3年生の試合は、終わってしまいましたが、ラストシーズンとなる4年生は、もっと準備をして、全タイトル獲得する。
この時は、そう思っていました...
新型コロナウィルスが蔓延するまでは...
相撲界のヒーロー
石浦関 炎鵬関
縁あって、早稲田大学レスリング部に練習に来てくれました!
炎鵬関とは、少しレスリングをしました!
専攻しているゼミの合宿で
軽井沢・シアトル
へ行きました!
※こちらも後日、まとめさせていただきます!
怪我をして失ったものばかりでは、ありませんでした。国立スポーツ科学センターのリハビリ室で、同様に怪我をしてリハビリしている他の競技の選手と繋がりをもつことができました。各競技のトップクラスの選手ばかりで、様々な価値観や視野を持っているため、新しい世界を見せてくれました。大切な友人です。
そして、就活や公務員試験に向けての対策や勉強に、追われる毎日を送っています。
コロナにより、様々なことに制限がかかり、インドア生活が余儀なくされています。
誰かのために、何かをしたい。
そう思ったら、自分の経験や体験を
誰かの人生で役立てることは、
できないのかと考えました。
そのために、まずは梅林太朗という人間を知ってもらう必要があると思いました。
それが、noteを始める原点であり、
noteを始めた理由です。
長々語るのが好きなので、長文になりがちです。気長にお相手していただけたら幸いです。読んだ感想やアドバイスなど、ありましたら、是非コメントお願いします!
今後とも、よろしくお願いします!
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