高校時代 1年生
2014年4月に帝京高校へ入学しました。入学してすぐのJOC杯で優勝し、初めて世界カデットの切符を手にしました。
高校生はとにかく試合が多く、東京都の予選では3週連続で試合があることも稀にありました。その間体重を落とし続けなくてはならないのが一番困難でしたが、なんとか3年間やり切りました。
初めての国際大会
初めて日の丸を背負ったのは、中学2年生の夏の韓国遠征でしたが、公式戦に出場したのは高1の夏でした。スロバキア🇸🇰のスニナへ行きました。オーストリアのウィーンでトランジェットしてハンガリーのブタペストへ到着するとバスで何時間も移動したのを覚えています。
しかも景色は、変わらない、、、
試合は、決勝へ勝ち上がったアゼルバイジャンの選手に6-4で敗れ、敗者復活戦へまわりました。3位決定戦では、インドの選手と対戦しましたが、試合中に膝を壊され内側側副靱帯の損傷を負いましたが、4-2で勝ち初の国際大会で銅メダルを獲得しました。
3位決定戦と決勝は、本戦と敗者復活戦のあと数時間の時間があったために、大会運営が用意してくれたレストランで昼食を取りました。その際、私はiPod touchを盗難に遭いました。試合会場からレストランに行く際、徒歩10分もしないくらいですが、日本選手団の先頭を歩いていた私がもし仮に道に落としていたのなら誰かしらが気付いてくれると思います。会場でiPod touchを触ってからレストランに着き、使おうとした際に気づきました。ショックから食欲が失せ、3位決定戦を控えているにもかかわらず、お昼ご飯が食べられませんでした。笑
そんな事件も海外に行くとよくあることみたいですね。iPod touchと引き換えに銅メダルを手にしたのですから、まぁ良しとしましょう。
自己管理が悪かったなぁ、、、
帰国後、1週間後にインターハイが控えていましたが、私の膝はゆるゆるでした。正直出るとは思っていませんでしたが、東京都予選を勝っていたので、いきなりすぎて補欠の選手も準備できていないということでした。帰国後一度もマットに上がらず、バイクを漕いで体重調整をして、迎えたインターハイ。尽く3年生の先輩に敗れました。やはり、中学の時と同様に、カテゴリーが変わる1年目は、洗礼を受けることが多いと感じました。
2014年11月には、カデット(18歳以下)のカテゴリーでコンソーシアム事業の強化選手として、レスリングの強豪アゼルバイジャンへ遠征に行かせていただきました。コンソーシアム事業では、様々な測定を行い、各個人のレスリングスタイルを分析するなど、スポーツ科学が用いられていました。私は、体系的に、グレコローマンが向いているという意見もいただき、グレコローマンに挑戦してみました。
その年のアゼルバイジャンは、グレコのワールドカップを優勝するほどの強豪でした。午前はカデットのナショナルチームと練習を行い、午後はシニアのナショナルチームと練習をさせていただくなど、様々なカテゴリーのトップクラスの選手と練習させていただきました。
アゼルバイジャン遠征での詳しいお話は、今後どこかのタイミングでさせていただきます。
2015年3月に新潟で行われた全国選抜では、準決勝で敗れ、銅メダルでした。
高校生の1年目は、思いの外、中学からいきなり試合数が増え、あっという間に終わってしまいました。
高体連の試合でこそ、結果は出せなかったものの、初めての国際大会や長期間の海外遠征は、レスリング選手としても、人としても私を成長させてくれたことに違いありません。
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