スポーツとは
早稲田大学スポーツ科学に進学した私は、
2年生の時に、スポーツビジネスコースを専攻しました。また、ゼミでは、スポーツ史学を専攻しています。主にアメリカのスポーツ文化を中心に勉強しています。
内容としては、トリプルミッションや地域スポーツなどのスポーツビジネスや野球がどのように日本に伝わったのかなどの文化
を取り扱っています。
スポーツを行うためには、
何が大切なのか?
あなたは、どう思いますか?
私は、相手だと思います。
なぜなら、一人でスポーツは、
出来ないからです。
「いや、1人でもできるだろ!」と
思う人もいるかもしれません。
しかしながら、誰かと比べ、競うことで、
はじめてスポーツが成り立つと
私は考えています。
ウサインボルトが、
100メートルを9.58秒で走りました。
凄いことです。では、なぜ凄いと思いますか?
誰もが、100メートルを走ったことがあると思います。自分の足の速さとウサインボルトの速さを比べることが、容易に出来ます。
自分の経験と比較できるものは、凄いこととしてわかりやすく認識できます。
では、これが出来なかったら、
どうでしょうか?
ウサインボルトが1人で走っています。
比較する選手も、
一緒に走っている人もいません。
自分が100メートルを
走った記録すらありません。
そうなった時、本当にウサインボルトが速いと思いますか?速そうだなと思うことはあっても、世界で一番速いことは証明できません。
勝負の世界は、勝者と敗者を明白にします。
しかしながら、
互いに相手を尊重し、
感謝すべきと私は考えます。
ライバルが居たから、頑張れた。
自分の全力を引き出すことができた。
スポーツをされる方で、
一度は、そう言った感情に
なられたことがある方は、
いらっしゃるのではないでしょうか。
スポーツとは、小さな社会
スポーツには、必ずルールがあります。
そして、自分以外の他人がいます。
スポーツで、
ルールを破ると、
どうなりますか?
多くのスポーツでは、
反則になり、
失格やペナルティを
与えられます。
これは、社会でも同様です。
法律をはじめとする規則を
犯すと罪を償わなければなりません。
スポーツとは、社会を身体を動かしながら、
学べる1つのツールだと考えています。
言語の壁を超えて
スポーツの素晴らしい部分は、
無限にあります。
言語の壁を超えて、世界中と
スポーツで繋がることができます。
これは、やはり
オリンピックがわかりやすいと思います。
世界が一つになる瞬間でもある
オリンピック
ロンドンオリンピックの開閉会式で利用された聖火台を私は気に入っています。
参加している一つ一つの国名が、
聖火の受け皿の一つ一つに記されています。
これが、一つになる瞬間が、
「美しい」
オリンピックの閉会式を迎えると
再び、集まった聖火は、広がり
元の位置に戻ります。
素晴らしい表現だと感じました。
母国の選手を応援することが、
一般的ですが
他国の国の選手の健闘も讃えます。
これは、言語の壁を超えている
行動と言えると思います。
スポーツや芸術は、
言語を使わずに、
共有することができます。
私には、海外にレスリングを通して
たくさんの友人がいます。
海外だけに限らず、スポーツを通してたくさんの友達が私にはいます。
スポーツには、人と人を繋ぐ力があります。
早稲田大学では、スポーツには、
「する」
「みる」
「ささえる」
という関わり方があると教わります。
まさしく、その通りです。
私は、多くの人に、
積極的にスポーツに触れて欲しい
と思ってます。
しかしながら、
その環境が完璧に整っているとは言えません。
社会に参加するように、
スポーツを触れて欲しい。
そのような環境を
今後作らなければならないと思います。
スポーツとは、社会そのものです。
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