運転手として心に残るエピソード3
※東日本大震災の事を書いていますので閲覧注意です
東日本大震災の爪痕(女川町)
女川町が見える山の上で呆然としていたが、
トラックに乗り込み走り出した。
目的地はどこになるのだろう?
積荷は仮設住宅の建材
場所は、山に近い方だろうと想像はできたが
関東を出る時に渡された、目的地を書かれた
Yahoo地図のコピーを見る
その地図には、こう書かれていた
※まわりは全てガレキのため、目印という目印はありません
案内看板もなければ標識も信号もない
当時出たてのiPadをナビがわりに持って行ったが
全く道が変わっているので当てにならなかった
高台に唯一建物が見えた、
とりあえず聞いてみることにした。
そこは避難所となってる体育館で、
物資を受け入れる担当っぽい方が、駆け寄ってきた。
こちらから、『物資ではなくて、仮設住宅の建材を積んでいるのですが、
現場わかりますか?』と聞くと
『それなら、この道を下ってさらに山に向かっていくとありますよ』
と教えていただいた
とても元気よく答えてくださった事を今でも覚えている。
ようやく現場に辿り着き。
携帯で連絡を入れると、しばらく待ってくれとの事。
走ってきた、横道にバックでトラックを入れ
エンジンを切る。
青空が広がる天気の良い日
茶色い道路には、ガレキを運ぶダンプと自衛隊の車しか見かけなかった。
横を見ると、漁船が置いてある。
見渡すところに海はない。
海から3キロ以上離れたここまで、津波がきたのだ。
風の音しか聞こえず。まわりは360度ガレキの山
凄いところに来たんだと改めて思うし
昼間なのに何だか怖くて、トラックからは降りれなかった
トラックを止めた正面は、4階建ての団地らしきものがあった。
そこに、車が来て。夫婦らしき人が降りてきた。
その建物を見上げ二人で眺めている。
測ってはいないが、5分以上は眺めてたと思う。
その建物はこちらから見ると横の壁が正面に見える位置
ご夫婦の目線の方に目を向ける4階はベランダの柵がアーチを描いた洒落た造りになった建物だと分かった。建物の横壁面は大きな窓もある。
3階は、ベランダの柵が少し潰れて変形していて、
横の窓からカーテンがヒラヒラと出ていた
2階は、ベランダが大きく変形し、横の窓のサッシが残っている
1階は、ベランダがなくサッシもないが、壁だけ残っている
建物の中身を抜き取られたような状態。
高さによって全く違う状態に、唖然としてしまった。
一階に住んでいた人のものは、何も無くなってしまったのだ。
私は、見上げているご夫婦と建物を眺めていた
ここは、風の音しかしない。