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自分の善意に気をつけろ

日野笙さんの記事をよく読みます。


色んな記事を書かれている方で、1年以上毎日更新していらっしゃいます。
すごい。ネタが続くことも書き続けられることも記事にまとめられることもすごい。
ああ、分かる分かると思うことが主ですが、そんなこと考えたこともなかったなぁと思うこともチラホラ。
書く題材が多岐に渡るのと、時折垣間見える感性の豊かさに読んでいて飽きません。
ギルティ女史ネタが好きです。

そんな日野さんの記事を先日読んで、ああこれは…と自分の中で思うところがあったので今日はつらつらと書いてみようと思います。



歳を重ねるごとに、人に善意を与えることに二の足を踏んでしまいます。

コレをあげたい。
アレをしてあげたい。
喜んで欲しい。

100%善意です。
ただ、その善意の形はよく考えなければいけません。


プレゼントという形の善意は、モノである以上当たり外れがあるのは仕方がないと思います。
相手の琴線に触れるモノは、相手が受け取るときの事情に左右されるので、絶対に喜ばれるモノを贈るのはかなりハードルが高いです。
さらに言うと、贈ったモノをどう扱われるかまでは考えてはいけない。

でもモノに込められた気持ちは間違いなく受け取ってもらえます。


・断れない善意を与えていけない

私は、サプライズは勝率99%の博打だと思っています。
サプライズを受けた側は本心はどうであれ、必ず喜び(を表し)ます。
仕掛けた相手がサプライズにかけた時間や気持ちに見合うよう、「ああ喜んでくれてよかった」と思ってもらえるようにです。
もちろん本心から喜びが爆発するパターンもありますが、サプライズに対してその場で不満を表す人はほぼいないし、できないと思います。

そういった意味でサプライズは受取拒否ができない善意です。

職場から帰る直前にサプライズでお祝いパーティーをされたけど、急いで帰らなければならない用事が実はあってとても困ったことがある
というエピソードもあります。

また、相手と上下関係がある場合も断りづらいです。
特に上の人から下の人に対する善意は日頃からよほど親交がないと余計なお世話になりかねません。
ただ、職場において仕事に関する善意は勝率高めかなぁと思います。


・善意は断られる可能性が常にある

相手が誰であろうと自分の善意が断られる可能性が常にあることを絶対に忘れてはいけないと思います。

そもそも善意と余計なお世話は紙一重なのです。
どれだけ相手と親しくしていて、多分喜んでくれるだろうという確信があったとしてもです。

自分の善意を受け取ってもらえるかどうかは相手次第。
受け取ってもらえなかったときは間違っても「せっかくしてあげたのに!」と怒ってはいけません。
それは何歳になっても、相手が誰であろうともです。


さて、ここまで読んでわかっちゃいるけどなかなかできないときもあるよねぇと思う人もいるかもしれません。


ここで、"善意""好意"に代えてください。

好きです
付き合ってください

という気持ちを伝えるとき、そこには自分の想いを受け取って欲しいというエゴがあります。
でも、断られる可能性もあると心のどこかで必ず覚悟して口にしているはずです。
一か八か。多分いける。いややっぱダメかも。
そんな気持ちのはず。

もしも自分の好意を受け取ってもらえたら最高。
よかったよかった。キャンユセレブェェェ〜。

しかし断られてしまったとき、相手に対して
 自分の何がだめなの?
 あの男(女)ムカつく
とか言う人って単純にダサくないですか?

相手からすれば、
 いや、いきなりそんなこと言われても困る
 断ったらこっちが悪者になるのも困る
以外の何者でもないと思うのです。

さすがに交際前に自分を振った相手に悪態をつく人はほとんどいません(たまにいます)が、多くの人は自覚しているのです。
好意はそもそもエゴで、振られて元々なのだと。

善意も同じです。
「良かれと思って」を受け取ってもらえなかったときに相手に憤る思考ってダサい。

善意は小さな告白だと思っておくくらいがちょうどいいかも、と私は思います。


そんな私は、息子が喜ぶだろうとちょっとお値段高めのみかんを買って帰ったのに
 えぇぇ〜りんごがよかったぁ
と言われてイラッッッとするダサい母親です。

自戒を込めて。





日野笙さん、勝手に記事をお借りしてすみませんでした。



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