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私が五輪を楽しめない理由

7月23日、東京オリンピックが始まった。
私は、複雑な気持ちを抱えながら傍観している。

なぜ複雑なのか、それは今この瞬間も五輪開催には反対だと思っているからだ。

政府からは「自助」を求められ、生活さえもままならないまま、この1年を生きている人が存在する世の中だ。経済は停滞し、感染は拡大し、医療現場は逼迫している今この時に、大した感染対策も行わないまま、五輪をやろうという発想に至るのは、狂ってるとしか言いようがない。
言い換えれば、反対の声が大きかったにも関わらず、開催を押し切った政府は、「国民の意見なんかよりも、五輪を決行することが大切」だと堂々と宣言したようなものだ。
果たして政府の存在意義とは…?

また、開催への賛否両論の中には「アスリートにとっては一生に一度の晴れ舞台なのだから…」という開催賛成の声もしばしば見受けられた。
しかし、この世界に生きる私たち一人一人の「一生に一度」を勝手に他人が推し量り、五輪選手の「一生に一度」より軽んじていいものなのか。良いわけないだろ❗️
どんな人間も平等に時を奪われたのだ、五輪に出る選手だけは例外、などというのはかなり暴力的だと思う。


そうはいっても、実際にこうして開催され、国家代表として頑張っている選手がいる。私だってスポーツは好きだ。五輪開催には反対だが、「五輪」という名目を抜きにしたら、私たちが見ているものはただの「スポーツ」であり、甲子園や春高などと別に大して変わらない。複雑ながらもそう思い、見ることにした。

だが、複雑な想いはより複雑になった。

それは五輪にはメダルが付き物だからである。
どの競技も参加国が減ったことにより、メダル争いは元来よりも少なからず楽になっただろう。もちろん全力で戦った結果のメダルなのは分かっている。分かってはいるが、それで嬉しいのか?と思ってしまう私がいる。なんだか茶番にしか見えなくなってしまったのだ…。

なにより人間だから、この現状が「日本に有利だ」と考えてしまうのは普通だと思うが、それを直接的でなくとも口に出すような選手までいるのだ。(最低か)
心にしまっておくべき事も分からず、全世界へ発信してしまうような人間が、平和の祭典に参加しているなんて…恥ずかしすぎる。(平和の祭典というのも甚だ違和感があるが…)
一応そのインタビュー動画もちゃんと観たが、やはり問題視されるべき発言であり、無神経にも程がある。スポーツマンシップのかけらもない…
でも、そんな人間が日本代表の中には存在するのだ。

そして、なにより楽しめない理由になっているのが、開催直前のぐだぐだ感だ。
もちろん1年遅らせたことによる調整は大変だったと思うが、人選ミスにも程があるだろ‥というほど次から次へとボロが出てくる五輪関係者。日本ってまともな人間いないの?と思ってしまうような酷さ…。呆れてしまった。
また、私はこの批判されるべき案件が、忘れ去られてしまわないかを危惧している。

そして開会式。文化を軽んじている我が国の政治家が、いい時だけ文化を利用して生み出した「開会式」を見て、純粋に楽しめるかよ…グロテスクすぎる…と感じた。
ある意味では、これも「文化の盗用」と言えるだろう。

では、そんな五輪を純粋に楽しめるだろうか?

A. 悪いけど、無理ですね。



〜〜〜〜〜完〜〜〜〜〜

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