【短編小説】主張が強すぎる鼻毛
その日、私は緊張していた。会社の重要なクライアントである花部(はなべ)部長との食事会が控えていたからだ。
この食事会は、クライアント側からの招待であり主導権は、こちら側にはないという難しい局面が予想される。
私はスーツの襟を正し、心の中で「よし、大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。
新規プロジェクトの進行がかかっている以上、この食事会は何としても成功させなければならない。
レストランに到着すると、すでに花部部長が席についていた。
部長は笑顔で手を振り、私を迎え入れてくれた。
「ようこそ。今日は時間の許す限り、ゆっくり、お話しましょう。」その言葉に少し緊張がほぐれ、笑顔で席につくことができた。
しかし、花部部長の顔を見た瞬間、私は心の中で叫び声を上げることになる。
「は、鼻毛が出てるじゃないか!!!」
花部部長の右の鼻孔からは、一本の鼻毛が堂々と顔を出していた。
その存在感は圧倒的で、まるで自らの存在を主張しているかのようだった。
私は、その鼻毛から目をそらそうとしたが、なぜか視線がそこに引き寄せられてしまう。
さらに、しっかり目を見て話すことさえも不自然に感じてしまうほど動揺していた。
「こんな時はどうすれば良いのか?」必死に、且つ、冷静に考えた。
そうだ!相手の目を見て話せない場合は、相手の鼻を見ながら話せば良いと、まだ現役で農作業に従事している、ばぁちゃんが言っていたことを思い出した。
そして花部部長の鼻を見ながら話を進めようとしたが、動揺を誘う根源である鼻毛の主張には逆らえない。
なんなら、鼻毛に鼻がついているかのように感じられるほど、鼻毛の存在感は母体である鼻を超越していた。
そんな脳内鼻毛100%の私に、鼻毛部長… いや、花部部長から話しかけられてしまう。
「どうですか?プロジェクトの進捗は…」花部部長の問いかけに、私は慌てて目を逸らしながら答えた。「あ、はい!順調に進んでおります!」
しかし、頭の中は鼻毛100%だ。今までなら何とも思わなかった部長の苗字が「鼻毛」とニアミスしていることに気づいてしまったため、部長を鼻毛部長と呼ばないように意識しなければならないというミッションが追加されてしまった。
「言うべきか、言わざるべきか…。」心の中で葛藤が始まった。
「指摘するのは失礼かもしれない。でも、放っておいたら他の人にも気づかれるだろうし…。でも、こんなに大事な食事会で、鼻毛の話をするのもいかがなものか…」
すると、お店のスタッフがパスタを運んで来てくれた。
花部部長の前へパスタを置くと、満面の笑みを浮かべ「ごゆっくりどうぞ」とお辞儀をしていた。
すかさず、そのスタッフが、花部部長を二度見したことを私は見逃さなかった。
きっと彼女も気づいたのだろう。
一方で、花部部長は特に気にしていない様子で話を続けている。私は何とか話に集中しようとするが、ふとした瞬間にまた鼻毛に目が行ってしまうのだ。
「ダメだ、もう耐えられない!」私は心の中で、そう叫んだ。
しかし、どう切り出せばいいのか。私は頭をフル回転させた。
「ええと…部長、その…ちょっとお鼻の…」いや、直球すぎる。
「あの、何かついていますよ…」これだと伝わらないかもしれない。
結局、何も言えずに時間だけが過ぎていった。
完全に詰んだと諦めかけた瞬間、奇跡が起きたのだ!
花部部長がフォークを手に取り、熱々のパスタを一口食べようとしたその瞬間、レストランの隅々まで届いたであろう、巨大なくしゃみが出たのだ!
そして、あの主張強めの鼻毛が、勢いよく飛び出し、なんとパスタの上に見事に着地したのだ。
私は、一瞬何が起きたのかわからず、次の瞬間に笑いをこらえきれなくなった。
だが、当然笑ってはいけない状況は変わらない。
どうにか堪えるも、肩が震えてしまったことで、花部部長も事態を理解したのか、ちょっとだけ笑みがこぼれていた。
これはもしかして、千載一遇のチャンスなのではないか?!と瞬時に理解し、私は即座に行動に移した。
私: 「部長!これはもしかして、牡蠣と帆立のペペロンチーノ〜鼻毛を添えて〜 ですね。わぁ〜美味しそう〜 あははは」
部長: 「…… 。」
新規プロジェクトが頓挫したことは言うまでもない。
唯一の心残りというか、後悔があるとすれば「〜鼻毛を添えて〜」ではなく「〜きざみ海苔を添えて〜」にしておくべきだった。
おしまい。