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そういえば、なぜいつも"ない"が前提だったのか

 いつも、あれがない〜、これがない〜が出発点だったとふと気がついた。もうずっと前から気がついてはいたのだけど、自覚なかったなぁww

今思えば、"ない"状態を楽しんでいたのだとわかる
私の自我がね、"ない"ってわかったら獲得に全力で走るの💨この時のエネルギーを感じるのが好きだったのだと思う。自分の力を見せつけてやりたいのよ
私、スゴイでしょ!って感じでね(かわいいじゃないの)

だけど、走ってる時は楽しいよいろんな知識や、技術やらを身につけて、なんか強くなったきがして、なんだったらドヤ顔もできたりしてww

ただ、これってゴールがないの永遠に山登りしてるからwwだって自我の性質だから、獲得したら次の問題を見つけて、解決のための何かを獲得するから。
途中で気がついた「あれ?ゴールはどこ」って、まぁ疲れちゃったんだよね。

最近は、自分が他人のためにすることなんて本当は何もないんだって、問題も実は起きていないとしたら?そんなふうに思うようになった。

問題ってすると、何とかせねばとなって、やる気や使命感のようなものがむくむくと湧いてくる、鼻息荒くねww問題を華麗に解決する、そこに自分の価値を見出していた。(恥ずかしい。。)

この問題って捉えてしまうのは、目の前で起きたことを否定した時にでるものじゃないかなって私は思っていて、否定するから何とかせねば、大変な事になる。(自分が勝手に思い込んでるだけ)

だから、否定も肯定もせずにただ起きただけにしてそれから、自分はどうしたいかと考えることにした。なかなか慣れないけどね〜、なぜなら自分の価値観が持ててないから、他人や世間の良しとすることをずっと採用してきたから。

自分はどうしたいは、外にはないからね。

生き方を難しくしてたのは、自分だったわ〜ってまぁ楽しんだしいっかなってなってきてます。

休みの日にな〜んもせず、どこにも行かず、人に会わずでもわたしには、価値があるとしよう。
エネルギー充填中です♪



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