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第11回「江戸の旅ブーム」


江戸時代も旅は憧れ。旅へ誘う広重の風景版画。
しかし、そこにはさりげなく広告の匂いが!


江戸の旅ブームを作った、広重の錦絵はカラービジュアルメディア。
1枚のポスターを見て、「そうだ京都、行こう」なんて思ったことはありませんか?
どんなに言葉を尽くすよりも、たった1枚の写真が人の心をつかみ、巧みに旅へと誘う。そんなカラービジュアルメディアは江戸にもありました。ご存じ、北斎や広重の極彩色の錦絵に江戸の人びとは大いに魅了され、旅への憧れに胸を膨らませたのです。
江戸末期は、弥次さん・喜多さんの「膝栗毛」がベストセラーになり、時ならぬ旅やレジャーの大ブーム。江戸の人びとは市中や郊外の行楽に浮かれて出歩き、またお伊勢参りや物見遊山の旅へと気軽に出かけるようになりました。人びとの見知らぬ土地への好奇な関心に応えるべく、名所絵や、宿場駅を巡る道中絵などの錦絵が多くつくられるようになります。他にも、旅行関連の多くの出版物が世に出回ります。特に江戸の特産・名物とされた「錦絵」は、庶民のための芸術品であり、また江戸観光の優れた土産物となりました。
その中でも、景勝地や宿場を描くだけではなく、画中に例外なく人物が登場するのが歌川広重(注1)の風景版画です。広重はその土地の空気や生活の匂い、人びとの喜怒哀楽などをまるで実況中継のように表現しているのです。

傑作「名所江戸百景」の中に明らかな宣伝絵?
ここではまず、広重最晩年の1856(安政3)年の傑作「名所江戸百景」から見てみましょう。
江戸の名所として欠かせないのが呉服屋で、大店は江戸の町々のランドマークとなるほどした(図1、2)。呉服屋と言えばまず、日本橋は駿河町の越後屋にはじまり、白木屋、下谷広小路の松坂屋、大伝馬町の木綿店たばたや、同じく大伝馬町店の大丸屋などが挙げられますが、この「名所江戸百景」の中にはこれらの大店が5店も紹介されています。大店がいくら町の名所とはいえ、これは店名を世に広めるための明らかな宣伝絵に見えます。

図1.名所江戸百白木屋

図1. 名所江戸百景「日本橋通一丁目の白木屋呉服店」

図2名所江戸百 大丸呉服店

図2.名所江戸百景「大傅馬町こふく店・大丸屋」

図3は「名所江戸百景」の中の1枚、「びくにはし雪中」という作品です。「山くじら」の大看板が見えますが、当時、橋の近くには猪などの獣肉を食べさせる尾張屋という鍋屋があり、それを描いたものです。江戸時代、四つ足の動物の肉を食べることは「薬食い」とも言われ、病後の体力回復のために食べるものとされていました。普段は禁忌とされていたことから、「山の鯨肉」と言い訳したわけです。また、画面右には「〇やき 十三里」とありますが、これは焼き芋のこと。「栗(九里)より(四里)旨い」の「九里」と「四里」を足して「十三里」と洒落ているのです。(ちなみに、この絵は2代目広重作ともいわれています。)

図3..びくに橋

図3.名所江戸百景「びくにはし雪中」
猪などの獣肉を食べさせる尾張屋の看板が描かれている。

大量に刷られ、よく売れた名所絵や道中絵が全国に拡散
広重の名を世に知らしめたのが1833(天保4)年に発表した「東海道五十三次」ですが、ここでは「木曽街道六十九次」(渓斎栄泉との合作)を見てみましょう。図4は木曽街道の「柏原」ですが、なんと画面いっぱいに亀屋の店先が描かれています。柏原の名産は伊吹山(いぶきやま)で産するお灸のもぐさで、もぐさ本舗の亀屋は旅籠や茶屋も兼業しており、店頭の福助人形も旅人に人気でした。(現在も盛業中です)「木曽街道六十九次」の中で画面に一店舗だけを描いたのは「柏原」のみであり、これは亀屋の当主が特に宣伝に熱心だったことから、広重に対しての饗応やなにがしかの恩典があったと思われます。

図4.木曽街道 柏原伊吹もぐさ

図4. 木曽街道六十九次「柏原」
画面いっぱいに伊吹もぐさの老舗・亀屋の店先が描かれている。

風景画の第一人者・広重は、最晩年の「名所江戸百景」に至るまで数多くの名作を残しました。江戸絵シリーズだけでも90種を超えているといわれています。こうして、大量に刷られた名所絵や道中絵は全国に拡散され、諸国の景勝や名店の格好の広告・宣伝媒体となったというわけです。(了)


(注釈)
注1…歌川広重▶1797(寛政9)‐1858(安政5)年。江戸時代の浮世絵師。江戸の定火消の安藤源右衛門の子として誕生し、1811年(文化8)年15歳のころ、歌川豊広に入門。翌年に歌川広重と名乗る。1818(文政元)年に一遊斎の号を使用してデビュー。役者絵から出発し、美人画に手を染めたが、やがて風景画を主に制作した。1833(天保4)年に「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声を決定的なものとした。諸国取材の地は150ヵ所を超えていたという。以降、種々の「東海道」など道中シリーズを発表、また各種の諸国名所シリーズも多く手がけており、それら諸々を合わせると作品総数は2万点にも及ぶという。「名所江戸百景」が最晩年の作となる。安政5年没、享年62。

注2…伊吹山に産する薬草・ヨモギを原料につくられるお灸の薬がもぐさである。伊吹もぐさの老舗・亀屋左京の6代目松浦七兵衛(寛政年間)は極めて、宣伝に熱心だった。江戸まで行商に行って儲けた金で吉原に入り浸り、「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋佐京の切もぐさ」という唄を遊女たちに歌わせて、伊吹もぐさの名を広めたという。それ以前にも市川団十郎の芝居によってすでに「伊吹もぐさ」は流布していた(司馬遼太郎『街道をゆく〈24〉』より)

<執筆者プロフィール>
坂口由之(さかぐち よしゆき)
アドミュージアム東京学芸員。1947年、北海道生まれ。多摩美術大学卒業後、1970年㈱電通入社、クリエーティブディレクターの後、1997年広告美術館設立のため学芸員として参画。2002年「アドミュージアム東京」の開設時に企画学芸室長として運営に携わる。2007年(公財)吉田秀雄記念事業財団に勤務。現在はアドミュージアム東京解説員として勤務。日本広告学会会員

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