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傷つくと価値が上がるのは、人くらいのモンだよ(大嘘)
先日、道路でひどく転んだ。雨が降っていて路面のグリップ力が低下していたにも関わらず、Rの小さいカーブを描いて走ろうとし向心摩擦力が足りずに滑ったのである。それにより、膝の腓骨あたりの部分が抉れ、大いに出血した。近くの店に駆け込んで絆創膏を買い求める姿はさぞみっともなかっただろう。
「人はモノと違って、傷つくと価値が上がる」
こんな言葉を耳にしたことがある。私は道路で転んだことにより、価値が上がったのだろうか。いや、そうではない。「傷つく」というのは、「つらい出来事を経験する」という意味で使われた言葉であろう。そして、つらい出来事を乗り越えた人間は強くなる。「価値が上がる」ということだ。モノはつらい出来事を経験しないし、物理的損傷は価値を損ねる。これが人とモノの違いなのであろう。
今日、絆創膏をはがしてみると、ガーゼに膿がべったりとこびりついていた。傷口をよく洗わなかったので、大量の白血球が動員されたのであろう。ひどく見苦しいヴィジュアルを目の当たりにし、嫌な気分になった。
人は...傷つくと本当に価値が上がるのか...?
蓋し人は傷つくと価値が上がるが、その条件として「つらい出来事を乗り越える」ことがあげられるのではないだろうか。つらい出来事を経験しても、それを乗り越えず、いつまでも進歩していなければ人は卑屈になる。価値は上がらないどころか、下がる。醜くなる。いわば「化膿する」のである。
「死ぬこと以外かすり傷」と人は無責任に言うが、そのかすり傷から細菌が入り、化膿し、腐ってゆくのだ。治療がなされなければ、やがて目も当てられなくなる。
自分がこれまで負った傷で、化膿させたものは幾つあるだろうか。
下腿部の物理的損傷以外に、精神的に成長できていない部分があるとしたら、乗り越えなければならない。