朧の月亮

雑多な投稿 虚実織り交ぜた日記や逆張り

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何を経験したかではなく、経験から何を学んだかだ。

自分の価値を上げるために、さまざまな経験を積むのはいいことだ。しかし経験を積むだけでは、何かを学び、自分の価値を上げることにつながるとは限らない。 どんなによい経験もインプットも、主体的に行って、そこから何かを学ぼうとしなければ何も得られない。 心を抉るようなつらい出来事も、経験するだけでは自分の価値は上がらない。傷を化膿させれば卑屈になり、醜く価値の低い存在となる。つらい出来事を経験し、そこから何かを学び、乗り越え、強さを手にすることで初めて人は価値が上がる。 そして

    • 経験や記憶は劣化する

      今回も時間がないし,一言一句を推敲することは本質でないから簡潔に書く. 記憶は劣化する.非可逆圧縮される. 勉強においてまとめノートというのは劣化ノートだ.なぜなら問題を解かずに公式やら定理やらとビジュアルをこねくり回すだけだからだ.問題を解かなければ,知識は劣化する. 勉強以外についても同様だ.高校2年生まででやっていたある活動で,様々な失敗をして知見を得てきた.しかしそれを文書化して死蔵しても,行動をしなければ死んだ知識になってしまう.事実,最近はその知見を頭でわか

      • 疚しさの正体と,これから

        以前,拭えない疚しさを抱えながら自堕落な生活を送っていると書いた.(https://note.com/0336_57/n/n9c449eef7199?sub_rt=share_pw) この疚しさの正体がわかった.裏切っているという感覚だ. 自分はこれまで,何かを努力してきた経験が一切なかった.ただ努力しているように見せかけて他人をだまし,ついには自分までだましていた.それでも大きな問題が発生せず,幸か不幸かここまで生きてきた. 「自分は根本的に頑張るなどということができ

        • 数学やってると他のことを頭から締め出せる〜青の数学 読書記録〜

          私は数学が好きではないし、得意でもない。数学の考え方というのもよくわかっておらず、受験では数IIIの青チャートを丸暗記したくらいだ。しかし、理系の道に進んだ以上、数学から逃れることはできない。 だったら、見方だけでも変えて、少しでもモチベに繋げた方がいいじゃないか。そう思って、数年前に知人に勧められた「青の数学」という小説をKindleで読んでみた。 この小説の主人公は、幼少期から数学をやっていて、それはある人との約束だという。以下に、この小説の登場人物の数学に対する見方

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        何を経験したかではなく、経験から何を学んだかだ。

          逃げ回って暮らすには世界は狭すぎる

          タイトルの通り. 嫌なこと,嫌いな人から逃げ回ろうにも「六次の隔たり」という言葉があるように,どこかでそれは目に触れてしまう.そういう意味で,世界は狭すぎる.しかし,自分の知らない世界を生きている知らない人はいっぱいいるし,新しい何かを手に入れることもできるかもしれない. 逃げ回るには世界はあまりに狭いが,何かを見つけるには世界は十分に広い.

          逃げ回って暮らすには世界は狭すぎる

          頑張りは評価してもらえないのか

          頑張っても結果が出ず,他者から評価してもらえないことがある. 他人に評価されたければ結果を出すしかない,他人は結果でしか評価できないからだ.他者は自分の内面や頑張り,過程などを見るすべはない. そのように思うことがあるが,これを続けると結果が出なかったときにやる気がそがれていく事がある.そういった場合には,自分の頑張りを自分で評価してあげる必要がある.あくまで「他者が」自分の頑張りを評価できないのであって,結果が出なかったとしても努力していた事実は存在するかもしれない.W

          頑張りは評価してもらえないのか

          懺悔は有効なのか

          グダグダ記述することは不毛なので,短くまとめます. 宗教の文脈で,自分のこれまでの罪を告白し,上位存在などの赦しを得るというものがある. しかし,過去は消せないだろう?上位存在が赦してくれても世間は自分の罪を許してくれないだろう?そう思っていたのだが,決して懺悔は無意味・無価値ではないと捉えることもできると思い至った. というのも,自分のやったことを明確に述べるという過程が含まれているからだ.これによって後悔の念が呼び起こされ,同じことをしないようになる可能性があるので

          懺悔は有効なのか

          拭えない疚しさ

          札幌で初雪が降ったという。 去年、札幌が雪に閉ざされていた季節からずっと、私は拭えない疚しさを抱えている。劣等感かもしれないし、焦りかもしれないし、それとも、これは罪の意識かもしれない。地獄の業鏡で、これまでの自分の杜撰さをありありと見せられている気がするのだ。勿論それは放置してよい問題ではない。布団に体をうずめて受験期に聞いていた曲を再生するたび、そのMVに受験期に見た雪を思い出し、5拍子のメロディとともに心臓が激しく動き出す。この暗澹の果てに辿り着くのは何れの日になるだ

          拭えない疚しさ

          『絶歌』を読んで

          いつか俺は殺人鬼になるかもしれない。そういう恐れがあったのかもしれない。俺が家族を持ちたくないのは、なにも自由がなくなるからってだけじゃない。新しく家族になるパートナー、いつか生まれてくる子ども。彼らは人間なのだ。そんな彼らを、傷つけてしまう気がするのかもしれない。いつかリミッターが外れて、化けの皮が剥がれる。そういう漠然とした恐怖があったことを、ある本を読んで思い出した。 『絶歌』 あの殺人鬼、酒鬼薔薇聖斗の著書を、私は読んだのだった。正直覚悟が要った。もっと幼い頃にこの

          『絶歌』を読んで

          noteフォローされてたが過去の自分が書いてたことあまりにも稚拙でウワ〜〜〜〜〜🫨🫨🫨🫨

          noteフォローされてたが過去の自分が書いてたことあまりにも稚拙でウワ〜〜〜〜〜🫨🫨🫨🫨

          遂に正しいスマホ2台持ちに辿り着いた

          タイトル詐欺です。あくまで現時点で最善の、スマホ2台持ちのやり方を以下に紹介します。 ________ 私は最近、胸ポケットにスマホを2台入れて通学している。電車内を見回せば、資産管理番号の付いたiPhoneSEと、私物とみられるiPhone13を両手に持ったサラリーマンを見かけることもある。以前私が札幌にいたときと違って、スマホを2台以上持つのは何ら異常でないように思えるようになった。 能書きは辞めていい加減本題に入ろう。私がスマホを2台持ちするのは、一言でいえば 生 活

          遂に正しいスマホ2台持ちに辿り着いた

          中学校に風神・雷神がいた話

          先日、Twitterで風神雷神図屏風の画像を見かけて、中学校にいた風神・雷神のことを思い出した。 風神・雷神と言うのは、生徒の間で風神・雷神と呼ばれ畏敬の対象となっていた、2人のファンキーな女性教師のことである。どっちが風神で雷神だったかは忘れたが、その中学校で10年近く勤務していた英語と音楽の教師だ。 私の英語力は、全てその英語の先生(以降、風神という)のお蔭で養われたと言っても過言でないように思う。風神はアメリカでの留学経験があると語っており、そんな風神の話は記憶に深

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          アカデミックの世界に入りました

          先日,東京の私立大学に入学したので現時点で大学での学びを続けるモチベとなっていることをひとつ述べようと思います.選択の幅が広い分,モチベがなければ何もできなくなってしまうので. 現時点で私が思うに,アカデミックの世界というのは現実と隔てられたものではなく,日常生活を送る上でも役立つような価値があるのだと思います.それは例えば,情報リテラシーが身につくことではないでしょうか.勿論,一般社会でも本やWebサイトを活用して,情報収集をする上で気をつけるべきポイントを知ることはでき

          アカデミックの世界に入りました

          わからないから面白いとかいう価値観

          「わからないから面白い」という意見を持つ人に対し、かつて私は理解を示すことができなかった。「わからない」と、不安になる。だから絶対的な、再現性のある、定量的な説明が欲しかった。そういう浅い理由で、理系の進路を選択した。試験管の中でフランス革命は再現できない。電気泳動で十字軍を遠征させることはできない。一方で、物体の運動は、物質の生成・変化は、一定の手順に従って説明できる。そう思っていた。 しかし、逆説的な話だが、理系の勉強を進めるにつれ、必ずしもそうではないと思うようになっ

          わからないから面白いとかいう価値観

          緩やかな死を求めていたとき献血に行った話

          ※この文章は献血及び日本赤十字社に対するマイナスイメージを与えること、自殺や自傷行為を奨励することを意図しません。 先日、近所のラーメン店に行ったら、熱いおしぼりが渡された。そのとき不意に、この感覚に既視感を覚えた。 それはちょうど1年前のことだ。はじめて献血に行ったとき、腕を温めるのに、こんな感じのものを当てられたのだった。 その当時、私は何もかもうまくいっていなかった。学校行事に部活、学校外の課外活動に勉強など、さまざまなタスクが立て込み、4つくらいのプロジェクトを

          緩やかな死を求めていたとき献血に行った話

          初夢

          ”初夢は、見ることができませんでした。夢などない。目標があるだけだ” そう、ツイートした。しかし、俺は初夢を見たのだった。 トムソンの実験の夢を見た。バネ振り子の実験の夢を見た。 雪の降る道を歩いていると、突然、両脇に巨大な電極が現れた。前に進もうとしても、足はどんどん道を逸れる方向に進んでいく。左へ逸れたと思えば、次は右へ逸れる。そんなことを繰り返しながら、青みがかった灰白色の空を見上げた。低い高度にぼやけた太陽が見える。そのまま歩いていると、段差に足を取られ、よろめい