『KILLAH KUTS』右翼左翼ゲームを深読み〜水ダウどうなるのかな
Amazonプライムで配信中の『KILLAH KUTS』。手掛けたのはTBSの俊英プロデューサー藤井健太郎氏。お笑い芸人を使ってバラエティとしての体裁を保っているが、お笑いよりむしろこういう状況に置かれた人間はどうするのか?という人間観察としての側面がフィーチャーされたシリーズだった。
その中からEP3「右翼左翼ゲーム」が面白かったので、書いてみようとおもう。漫才コンビのウエストランドときしたかのが両チームに分かれてどちらが早く東京タワーにたどり着くかを競うが、道中の交差点で街の一般人にあなたの政治思想は右寄りか左寄りかを尋ね、言われた方角に進まなければいけないというルール。
スタジオでモニタリングするMC役にカズレーザーを置いていたのがとても効いていた。ゲームを始める前段階のセッティングとして右翼と左翼の定義が歴史的にどう変遷していったかをさすがの博識で端的に説明し、その言葉自体が持つ意味のなさ、空虚さをなんとなくあぶり出す。それでいて企画の主旨をいたずらにへし折らない着地も用意していて素晴らしいとおもった。
そもそも個人の政治信条を話すのはタブーでもなんでもないはずで、これが日本の地上波でやりにくいとされていることも本来おかしいのだよという価値観を持った彼が真ん中にいることで、とてもバランスが取れていた。彼がバイセクシャルをカミングアウトしているような裏がなく明るいキャラクターなのも、この企画が過剰にシリアスにならない重要なファクターだったとおもう。カズレーザーみたいな人って他に代わりがいないよね。稀有な人。
対してプレーヤーとして動くウエストランドときしたかのは、思想とかよくわかんないけどなんだか危ない気がするからやりたくないという態度で、見た目や性別であいつは右っぽいとか左っぽいとかを雑に判断して雑な偏見を放つ、いわゆる芸人のオモシロしぐさ。彼らは彼らである意味やるべき仕事を全うしているわけだが、もういい大人なのだしそろそろこういうのすらも無くていいのではと思わなくもない。偏見や抑圧の種をばら撒いていてもお笑いだからと許している内になんとなくそっちの方向に世論が形成されていく、というのはよくある話。
で最終的な結果はというと、ネタバレになってしまうが、かけっこなのである。まるで『紅の豚』のラストシーンのようだ。飛行機レースをやっていたのに、最後は飛行機から降りてただの殴り合い、みたいな。右寄りと左寄りのどっちの思想が多いとかそういうのはもうどうでもよくて、ただ足が速い方が勝つというバカバカしさ。カズレーザーが序盤で触れた言葉の空虚さについての伏線を回収するかのような結末。なんだかウディ・アレンの映画でも1本観たあとのような、世の中なんて所詮こんなもん、というあっけなくも趣深い感情に思わずとらわれてしまった。
他の回はそこまで面白いとも思えなかったのだが、以前から藤井氏のセンスには個人的に大いに乗れる部分と全く乗れない部分が混在するので仕方のないこと。水ダウどうなるんだろうな。訴訟を取り下げて復帰ムードが広がるこのタイミングで「性犯罪の事実無根が立証されるのを待って番組を存続させていたが、されないままであるならば起用することはできない」として番組を終わらせたりしたら潔くてかっこいいけれど。