『悲しみの秘義』若松英輔(17)【君ぞかなしき】

 静かな章です。

 深夜に一人で読みたい。喫茶店や通勤電車ではなく、部屋で。

 和歌について、成り立ちから、古人が抱いた和歌の「力」までゆっくりと語りかけるように書かれています。

 既に本著で書かれていることですが、「かなし」は「悲し」「哀し」だけでなく「愛し」「美し」とも書くことがあったそうなのです。いずれも、「儚いもの」という点で共通するような気もします。古では「かなし」という言葉が様々な意味を持っていたという解説は興味深いです。現代であれば(もはや「古い」かもしれませんが)「やばい」なんかは、僕は「危ない」というマイナスのイメージで使いますが、若者は「凄い」というプラスのイメージで使ったりします。日本語って難しくて、面白いです。

 話が逸れてしまいましたが、「悲し」「哀し」「愛し」「美し」が全て「かなし」と読むのなら、「かなし」と書かれた時や口にされた時、それがどの「かなし」なのかを感じなければなりません。古人の方が、心の機微が繊細だった気がします。

 和歌と言われて、瞬間的に拒否反応を示す人もいると思います。僕も、正直良く分かりません。しかし、若松さんは次のように語りかけます。

 「忙しい現代人には、平安時代に編まれた和歌集を読むことは難しいかもしれない。だが、歌に関する知識がなくても、古語を十分に理解することができなくても、頭で読むのを止めれば私たちは、千百年の時の流れを超え、古の風を感じることができる。彼方の世界に友を見出すことができる。」

 頭で読むと「?」となり、先に進みません。しかし、感じることはできます。何となく、で良いのだと思います。だからこそ、仕事で疲れた頭を休ませる意味でも、深夜に一人で読みたい(感じたい)章なのです。  

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