『悲しみの秘義』若松英輔(19)【孤独をつかむ】

 僕は詩作において「孤独」について考えることが多い。そのまま「孤独」を使う時もあれば、使わずに「孤独」について書くこともある。

 僕自身は「孤独」を悪いものとして捉えていない。むしろ「孤独」がない状態の方が、人を追い込み、苦しめているのではないか、と感じている。つまり「孤独」は生きて行く上で必要なのだと考えている。僕の「孤独」は自分と向き合うこと、考えを深めることなのだ。

 さて、本章では画家の岸田劉生が書いた「孤独」に関する文章に寄り添いながら、若松さんが「孤独」についてひも解いている。岸田劉生は美術館に行けば、必ず目にするほどの大家で、「麗子像」シリーズなど、教科書にも載っている(今は知らないが、僕が子供の頃は載っていた)レベルの画家だ。岸田劉生がこのような文章を書いていたことを知らなかったので、文章の素晴らしさに驚いている。ただ、こうした思考をする人だったからこそ、童女画であるにも関わらず、独特な陰影のある、一度観たら忘れられないような作品を残したのだろうと合点もいった。

 岸田劉生も若松さんも、「孤独」を人生において必要である、と言っているので、方向性としては僕と同じである。しかし、二人の方がより深いところまで(例えば「自身ではなく人類まで」)考えているので、とても刺激的な内容だと思った。とても参考になる。

 「孤独」は必要だが、「孤立」は避けたい。似て非なるもの。「孤独」に関する思考を深めつつ、そんなことを考えた。

 とてもスッキリとした良い章である。「孤独」感に悩む人には是非とも読んで欲しい。心がスッと軽くなるはずだから。

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