『悲しみの秘義』若松英輔(18)【模写などできない】
本章は設立当初のバウハウスで教鞭をとったスイス人画家のヨハネス・イッテン(1888~1967)が学生への授業で放った言葉から始まる。彼の作品は以前観たことがあるのだが、作品も好きだがイッテンという名前が珍しく、不思議と印象に残っている。
グリューネヴァルト「嘆きのマグダラのマリア」
イッテンは学生に模写するように指示する。そして、学生が従順に模写を始めると次のように言うのである。
「すぐに模写を始める前に、やることがあるでしょう。まずこの絵を見て、涙を流して。とても模写などできない、というのでなければ、芸術家とはいえない。」
僕は字面で追うだけだから、なるほどな、と思うけれど、学生はどう思っただろう? 「模写しろ」と言ったから、模写を始めたのに、何を言ってるねん! と思ったはずだ。
きっと、イッテンは分かっていた上で言っている。学生はまだ芸術家の卵であり、このアドバイスは芸術家になった時に初めて理解できるのだから。学生の中で何人が芸術家になれたのかは知らないが、芸術家の卵を芸術家として扱うイッテンの姿勢は素晴らしいと思う。
話が逸れてしまったが、若松さんはイッテンのエピソードから、「言葉」について考察する。「言葉」を超えて、ひびき、無音にまで言及する。
本章では、「言葉」は大事だが、すべてが「言葉」にできるものではないこと、「言葉」にできなくても、伝わる、感じることはできることを書かれている。「言葉」だけ考えると矛盾しているようにも思えるが、イッテンの模写エピソードがあるから、私は理解しやすかった。
一見、関係のなさそうな「たとえ話」「引用」がとても効いている。若松さんの文章に惹かれ、理解が進むのは、この辺りに秘密がありそうだ。もちろん、博学で、なおかつ、自分の言葉で、優しい言葉で伝えようとすることが大前提である。
なかなか深い章だった。