『悲しみの秘義』若松英輔(7)【彼方の世界へ届く歌】

 「悲痛という表現がある」で始まる【彼方の世界へ届く歌】は、「歌」について考察しているのだが、とても興味深い。

 「歌は、初めから三十一字の形式をしていたのではない。長い年月のなか、無数の悲痛が折り重なるうちに姿が整えられていった」とした上で、小林秀雄の文章を引用している。「悲しみ泣く声は、言葉とは言えず、歌とは言えまい。寧ろ一種の動作であるが、悲しみが切実になれば、この動作には、おのずから抑揚がつき、拍子がつくであろう。これが歌の調べの発生である、と宣長は考えている」ということは、歌は言葉よりも前に存在した、つまり言葉にならない「呻き」が和歌へと昇華したということである。

 悲しみ、悲痛に震える気持ちを、亡くなってしまった相手に伝えたいと思ったのであろう、と若松さんは推測するのだが、昔は写真も録音もなかった訳だから、「この気持ちを残しておきたい。忘れたくないから」という思いもあったのではないかと、私は考えるのである。

 日記もそうだ。その時の思いを書き残すことに意味がある。忘れないこと、読み返すことを主眼に置いていたのだろう。そして、書くことによって心が軽くなったはずである。「書く」こと、「詠む」ことの大切さを「歌」の始まりを知ることで、改めて実感する。

 そう考えれば、歌に上手いも下手もない、ことになる。同じ「悲しみ」など存在しないのだから、それぞれの「悲しみ」を言葉にすれば、その言葉が本人に刻まれ、相手に伝われば十分なのだ。

 それなのに、いつしか歌の上手下手が判じられ、一対一の関係ではなく、鑑賞の対象となったのである。「悲しみ」は相手だけに伝われば良かったはずなのに、「悲しみ」がいかほどなのかも分からない他人にも伝えなければならなくなったのだから、基本となる「呻く」から遠く離れてしまったと言って良いだろう。作りもの(テクニカルなもの)になってしまった歌は、一対一の関係を超えて、時代を超えて現代へとつながっている。おかしな話だが、鑑賞の対象にならなければ、歌は現代に残っていなかったと思う。

 『源氏物語』でも、何かあれば「詠む」のである。歌には教養が必要であり、誰もが詠める訳でもなかった。

 現代は「詠む」のではなく「書く」ことになるが、手紙を書くのではなく、「呟く」であり、「呟く」と同時に発信することになるから、より即座に思いが言葉になる。しかし、これらは、おそらく残らない。そもそも、残そうなんてみんな思っていないのだ。しかし、忘れた頃に掘り出されて糾弾の要因になることもあるから、注意が必要だ。残らないものだが、消えないのである。

 それでも、本当の「悲しみ」を知った時に、本当の「悲しみ」は言葉にならないことを誰もが知ることに変わりはない。近しい人を亡くした時、人生に挫折して絶望を知った時、初めて失恋した時など。「悲しみ」を知った時に、誰もが詩人になる。詩を書くか書かないかは問わず、自分の言葉が見つかるのだ。

 悲痛、悲願、悲嘆、悲劇、悲壮、悲哀……悲しい気持ちや場面は人生に溢れている。時々、我が身を顧みて、慈悲深い人になりたいものだ、と思うことがある。悲しみや悲痛を知ることで、人生は深まるのだろう。いつも思うばかりで叶わないから、私にとっては悲願である。

 

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