『悲しみの秘義』若松英輔(12)【別離ではない】
書き出しは「本との出合い」についてで、遠藤周作が引用されているため、この章は遠藤周作について書くのだと思ったら、違った。
遠藤周作は、不思議と縁を感じる(たとえ読まずとも)本との出合いを書くための導入でしかない。もちろん、それ自体を若松さんの言葉として語ることもできるのだろうが、遠藤周作を引用することで深まり、説得力が増す。
上原専禄『死者・生者』
二十歳の頃に古本市で迷いに迷って買って以来、何度も手にしては読み進められなかったものの、本棚では何故かいつも一等地に置かれていた一冊が、若松さんが奥様を亡くして、かけがえのない支えとなる。
上原さんと若松さんが同じ悲しみを経験した同志のように重なり、目頭が熱くなる。とても沁みる章だ。
死と生ではなく、死者と生者。
家内の死に私が感じましたのは、「死」というものよりは、むしろ「死
者」ということであった、と思います。(中略)つまり、生者であった者
が死者になっていったその事実を、まだ生きている者がどう受け止める
のか、というのが私の感じたその問題なのであります。
つまり【別離ではない】ということであり、若松さんに上原さんの体験が「その時」すっと入り込んだのだ。
なぜ買ったのか思い出せないが、そして読んでもいないのだが、常に本棚の一等地に置いている本は誰にでもある気がする。ただ、それはいつか読む日がきっとくるのだ。
本章はまさに『悲しみの秘義』である、と思った。