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自分で気がつくまで。
『稽古は本番の如く、本番は稽古の如く。』
息子が中学3年生になって気が付いた事。
それまでは挑戦者である攻めの相撲、下級生だったこともあって結果を気にせず立会いから真っ向勝負の相撲を取っていたのだけれど、3年生になった途端、本番では受けの相撲になってしまいました。
確実に勝ちたい。
立会い、相手の動きを見てからの相撲。実力差がハッキリしている相手なら確かに堅実だけれど、互角かそれ以上の相手に先手を取られたら後手踏んでからの逆転は難しく・・・。それはどんなスポーツでも一緒。
確かに、『後の先』は横綱相撲だと思うけれど、今はまだ早い。
4月、木曽大会
受けの相撲で4番、準々決勝まで堅実に勝ちあがりました。
間の空いた準々決勝前、幸喜先生にはバッチンバッチン。回りの目を惹きつけるくらい、最高の音を立てながらぶつかり稽古をしていました。
でも、本番では受けてしまった。その様子を見ていた対戦相手に逆に最高の立会いをされて何も出来ず。気魄負け。
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6月、静岡県会長杯
全国都道府県中学生大会の予選を兼ねた県大会。
立会いを活かした会心の一撃が出ることは無く、桑原君、内田君に続く第3位。とりあえず昨年に続いて全国への切符は手に入れたけれど、モヤモヤ。
見ているほうとしては面白くも何とも無い相撲。
普段の稽古を見ていたら、こんなもんじゃないだろって。心の中で。
本番で出せるのが実力。と、言ってしまえばそれまで。
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息子にとっては、堅実に勝ちたい=受けの相撲 が、続きました。
ココはもう遠回りをしてでも自分で気がつかなければ意味が無い。
それに私は去年息子に負けた段階で求められない限り、口出ししないと決めていたので。言ってしまったら、それはもう完全に親のエゴだから。
違うスポーツの例え話は使っていたのだけれどw
メジャーリーグのジーター選手が2塁ランナーの時にヒットが出た場合、必ず本塁まで走るエピソード。3塁では止まらない。例えアウトになってもクロスプレイでお客さんは盛り上がる。結果、また試合を見に行こうと思う。
そんな相撲を取ってほしい。失敗してもいいから。
見ている人に元気を与えてくれるような。笑顔をくれるような。
勝手だけれど、そんな親の願い。
追記
そんな風に思っていたら考え方がシンクロするような記事があったので。
『確かに 口で言うのは 簡単だよ でもな・・・』
『それじゃ あいつの 血肉にならねぇ』
『言えば一時頭で 分かった気に なるだろう』
『ただそうやって 簡単に手に入れた 「知識」は軽い』
『本当の意味で 身に付きゃ しねぇのさ』